手弱男(たおやお)と作法 vol.6 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

「こちらは事件現場となった横浜市中区日ノ出町のアパートです。こちらの一室で被害者の遺体が発見されました。遺体に首を絞められた痕跡があることから、警察は殺人事件と断定し捜査を続けています。その後の捜査の結果、遺体の発見された部屋は契約者のいない空室だったということが分かっています。また、被害者名義の定期券が、この現場から離れた江ノ島島内の民家の庭先で発見されるという、不可解な部分がまだ多く残っている事件です。今現在も、有力な情報を掴むべく、警察の懸命な捜査が続いています。現場からは以上です」

横浜サラリーマン殺害事件の直後、私は連日に渡りテレビやネットニュースに目を通していた。朝の報道番組、昼のワイドショー、夕方から夜にかけての報道までである。まだ容疑者が逮捕される以前の物々しい報道の数々。被害者の実名こそ報道されなかったが、何しろ私はこの被害者をよく知る人物である。どのような思いで日々の報道に目にしていたか、想像に難くないだろう。

 事件から二ヶ月後に容疑者が逮捕され、横浜サラリーマン殺害事件の報道は月日の流れと共に鎮火していった。しかしネット上では依然として物議を醸していた。情報の出所は不明だが、被害者がZ大学法学部出身であること、そして横浜重工業に勤務するエリートサラリーマンであったこと、更に夜は街娼として、男性を標的に数多の客と安価で接触していたことなどが次々と白昼に晒されることとなった。人々は何故彼が夜な夜な身を売っていたのか、執拗なまでに着目しているようだった。ただ単に性欲の捌け口だったのか、しかしそうだとしたら何故同性愛者でないのに男を標的にしたのか、皆目見当がつかないようだった。しかし、現代社会を生きる人々の中には、この事件を通して安原の、そして自分自身の心の闇に触れようとしている者が現れた。

「何となくだけど、被害者の気持ちが分かる気がする」

「横浜サラリーマンは俺かもしれない。他人とは思えない」

そんな見解もネット上で出回り始めた。安原涼太という男は死をもって、現代を生き延びる社会人に対し、妖艶な灯火で彼らの胸中を明るみに出そうとしているようだった。私は、ネットの一部で渦を巻く、この「横浜サラリーマン症候群」が薄気味悪くて仕方がなかった。この部屋に住んでいた安原涼太が現代社会の歪みを世に知らしめようとしている。彼は最期まで社会の真理と向き合うことを拒んだ。そして、名も顔も知らぬ多くの人々が、涼太に自分自身を投影しているのだ。それを思うと居ても立っても居られなくなる。

 容疑者逮捕後、私は殺害現場となったアパートをもう一度訪れた。涼太はここであのネパール人と性行為に及び、その後殺害されたのだろうか。私の中でまだ現実味を帯びなかった涼太の死を肌で感じ、身震いした。何者かと金銭を巡って、鞄の取手が引き千切れるほど争った形跡があったという。この魔境で何が起きたというのか。頸部を圧迫されるその最中、彼が最期に見た天井が、或いは殺人犯の顔が目前に浮かぶようで不意に立ち眩みを覚えた。私以外にも「ここが現場か」と見物に尋ねてきた者が見受けられた。皆、涼太の磁場に吸い寄せられているかのようだった。この事件の余波は人々の間で拡大していたのだ。

 もう一つ、この事件がネット上で鎮火しない要因が存在した。強盗殺人犯とされているネパール人男性の冤罪疑惑が浮上している。殺害現場には、確かに被告人の精液入りの使用済みコンドームが和式便所に破棄されていた。警察はこれを証拠として逮捕に至ったわけだが、それは飽くまでも涼太とこの被告人が現場で性的関わりをもったことを証明したに過ぎず、殺害そのものの決定的証拠にはなり得ない、ということである。この男は不法滞在者であり、殺害現場に隣接する集合住宅で、同じく不法滞在者のネパール人仲間数名と居住していたのだが、涼太を殺害して逮捕されるまでの約二ヶ月間、平静を装ってアパートに住み続けるなど有り得るのか、そもそも被告人に涼太を殺害する動機はあるのか等、ネットの掲示板では検察が起訴に至るまでの経緯や裁判の杜撰さが度々槍玉に上がることとなった。しかし検察はこのネパール人一直線で、これらを承知の上で彼を有罪に運び込もうとしている。更に、警察の取り調べにおいて居丈高に自白を強要する旨のやり取りが露呈され、警察や検察の姿勢も大きく取り沙汰されることとなった。

 私としては、率直に吐露するならば、この男が犯人であるか否かにはさほど関心が無い。いや、もし真犯人が別に存在し、この男を盾に逃げ切っているとすれば由々しき事態であるし、全容は明らかにされるべきである。しかし、私は涼太の理解者として、涼太が世間に与えようとしている余波の方が気掛かりでならないのだ。彼の無念、あるいは怨念がこのアパートを、社会をより一層陰らせている。涼太に魂を抜かれたかの如く「あの被害者は僕だ」と同情を寄せる人々が裁判の傍聴席に吸い寄せられている。裁判が始まって以来、何度も傍聴に駆けつけるこの私も、涼太に憑依された人間の一人だろうか。兎にも角にも薄気味悪くて仕方がなかった。

(続く)

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