手弱男(たおやお)と作法 vol.8 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

 文化祭当日、友人の居ない私はひとまず出欠確認の頃合いに校舎へ赴き、一頻(ひとしき)りこの動物園を見て回ることにした。銀杏並木の其処彼処で肉食獣共が女子高生と会話し、連絡先を交換している。校舎内では、喫茶店などを出店する運動部の連中が、ホストクラブのように女の子達を饗していた。前後左右を眺めるだけで飯三杯は食えそうな程の光景が繰り広げられている。Z高校文化祭の規模は、他校のそれとは一線を画していた。広場に特設されるステージで催されるお祭り騒ぎはもとより、夜に開催される後夜祭では芸能人が招かれる程だ。グラビアアイドルやOBのミュージシャンがゲスト出演していたと聞く。つまり、年端も行かぬ高校生達が金をかけて遊んでいるというわけだ。あわよくばここで交際相手を見つけられれば、この男子校という環境下でも晴れて貞操を捨てられる。年に一度のこの好機を皆待ち望んでいた。私も一応は男であるから、彼らの下心を想像することは出来る。

 さて、あの涼太は何をしているのか。私の勧奨に少しは耳を傾けてくれただろうか。気がつけば私は血眼で人混みを潜っていた。校舎内外を隈なく捜す。特設ステージ付近を周ってもその姿を確認することは出来なかった。この狂宴に慄然として尻尾を巻いたか。諦め掛けたところ、銀杏並木の陰に佇む彼を遂に発見した。彼は、銀杏の木下に佇む幽霊のようだった。その姿を見て私は思わず自らの目を疑った。遠目で見ても明らかに安物と分かる金髪のウィッグを被り、行き交う女の子を凝視しながら固唾を飲んで眺めていた。これから狩ろうとしている女の子を物色しているのだ。私は、使いもしない洗髪剤を意気揚々と見せつけられたあの日のことを思い出した。それがあんたの憧れた姿か。助言したのは私だが、地味な格好では女の子の気を引けないからって、思いついた最善策がそれか。私の背筋は凍った。肩が震えるのを抑えつつ、この一部始終を見届けてやろうと思った。

「ねぇ、遊びません? ねぇ、お茶しません?」

銀杏の木からぬっと現れる亡霊に振り向きつつ、女子高生達は逃げるように涼太のもとを去って行く。彼の顔立ちに明らかに不釣り合いな金髪ウィッグは異様さを際立たせているだけだ。女子高生達も、如何にZ高校の生徒とはいえその普通でない出立ちに表情を強張らせ、彼から目を背けている。遺憾ながら涼太は、きっとこの三年間で運命の相手に出会うことは無いだろう。私がそう悟らざるを得ないほど、とにかく彼は異様だったのだ。

「ねぇ、遊びません? ねぇ、お茶しません?」

孤独に耐えかねた涼太が執拗に女の子二人組を追いかけ始めた。背後からいきなり現れた涼太に驚き、慌てて逃げようとするのだが、彼は女の子を追い掛け始めた。これからどうするつもりかと、私は怖いもの見たさで彼を追ってみた。彼から逃れようとする女の子二人が、校舎一階の教室に向かう。その先は、運動部による喫茶であった。女の子達は、助けて、あいつをどうにかして、と言わんばかりに、その喫茶に駆け込む。一方の涼太は、なんと勇ましいことに、その喫茶店内まで女の子を追い掛けたではないか。私は涼太に見つかるのではと躊躇いつつも、その顛末を見届けたい思いが勝ってしまった。

「お前、あっち行けよ!」

「ナンパなら他所でやってろ!」

「大丈夫? ところで、君たち二人はどこの女子校?」

その結末は想像するまでもない、彼が屈強な運動部員数名を相手に敵うわけがなかった。無惨にも摘み出され、蹌踉(よろ)めきながらとぼとぼと持ち場に帰る涼太に見つかるまいと、私は足早にその場を立ち去り、H駅へと向かった。本当は日の傾くまで観察しても良かったのだが、収穫は十分であった。これがZ高校という社会なのだ。彼にZブランドという付加価値を享受する資質は無いということが、この日を以て立証された。横浜サラリーマン殺害事件によって彼が巷間に名を馳せ、ネット上では「被害者は会社のストレスで壊れていたのではないか」などとも囁かれているようだが、私に言わせれば安原涼太には(つと)に崩壊の予兆があった。いや、この時から既に崩壊していたと言った方が良い。この高校一年時の文化祭の時点で、彼の汚名は徐々に校内で語種となり、ますます窮地に追い込まれてしまうのだから。

 高校二年に進学して、彼の姿を何度か見掛けたことはあった。いつも独り寂しく、まるで何かを抱えているかのような煩悶が見て取れた。私は中学時代からの知り合いではあったものの、彼に話しかけるのも、手を差し伸べるのも憚られた。あの文化祭騒動に始まり、彼の悪名は私の耳にも届く程であったのだ。空気の読めない痛々しい奴、悪ぶっているが一人では何にも出来ない奴、その噂は枚挙に暇が無い。ここまで陥落すると卒業までに這い上がるのは不可能としか言いようがなかった。私も友人と呼べる友人が側近に居ないもので、この高校生活に波風を立てたくはない。彼と関わることで余計な二次被害を被るのも億劫だ。私はそんな彼の噂はどこ吹く風で、絵画制作の鍛錬に余念がないのであった。

 私が涼太を貶めたというのか。余計な助言で焚き付けたせいだというのか。彼を傷つけておいて手を差し伸べないのは冷酷だというのか。とんでもない取り違えと言わねばなるまい。私は彼が最善を尽くせるよう激励したという純然たる事実があるに過ぎない。それを履き違えて頓珍漢な行動に出たのは涼太自身なのだから彼の自己責任である。確かに私はウィッグを推奨したが、下等な金髪ウィッグを被れ、など提案はしていないし、「ねぇ、遊びません?」と言いながら女の子を追い掛けろ、だなんて一言も言った覚えは無い。それを最善策とした涼太の誤判断である。涼太が私を恨むなどお門違いだ。

 再び言葉を交わしたのは、高校三年の夏休みだった。彼から、久しぶりに会って話がしたいと連絡があった。私と涼太は、大泉学園の商業施設にあるタリーズで待ち合わせ、ドリンクを片手に近況を語らうこととなった。

「お前、暫く話していなかったけど、元気にやっているのか?」

「まあ、それなりに。部活はやってないけど、今は絵の練習をしているよ」

「絵って、何を描いているんだ?」

「まあ、人物画とか風景画とか」

何食わぬ顔で、格好を付けて人物画、風景画と取り繕った。本当は、ネット上で知り合った絵師仲間と共に、同人誌の制作に勤しんでいるのだ。それも、成人向けの如何わしい同人漫画だ。高校三年を迎え、私の嗜好である男どもの肉欲観察もそろそろ芸術作品に昇華したい頃合いだった。私は、東京ビッグサイトにて年末に控える同人誌即売会に向けて、作品制作に励んでいた。漫画と言っても私個人の作品ではなく、合同誌といって、複数の同人作家が集まり、各々漫画を寄稿し一つの漫画本を作り上げるというものである。私が執筆する漫画は、スポーツに明け暮れるやんちゃな男子高校生が彼女と初体験を済ませるという、ただそれだけの内容であった。何とも中身のない、単なる私の性癖の寄せ集めだ。主人公となる男子高校生は私の同級生をモデルにしている。高校三年にもなると私が求めなくたって作品の題材はあちらこちらに転がり落ちている。交際相手と不純交遊に及ぶ生徒が周囲に散見されるようになるのだから。その生徒の大半は運動部を引退した者や、帰宅部の不良連中である。女性の居ない環境だからこそ、教室内で他人の性事情が嫌でも私の耳に届いたりするものだ。「歳上の彼女とよろしくやっている」、「昨日は安全日だから中に出した」、「俺彼女居るけど、合コンで会った女の子とワンナイトした」など、もはや貞操観念などとうに捨て去り野獣と化した男の楽園というわけだ。これこそが、男子校という風土が浮き立たせた男達のインモラルな生活様式、猥雑な精神構造だ。私の創作活動の目的は、この実に愉快極まりない精神構造を暴くところにあると言えよう。

(続く)

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