私は横浜サラリーマン殺害事件の裁判を何度か傍聴した。ネット上での様々な憶測も相まって、一般人が犠牲となった事件にしては傍聴者が多く、その多くが涼太と同年代と思しき男性である。私は傍聴席の最後列で身を潜めるように座っていた。前方の関係者席には、涼太の遺族である父親が一人ぽつんと佇む。父親一人だけである。涼太の母親は、彼が大学二年の時に他界していた。それは、彼が司法試験を挫折し、大学を一年間休学する引き金となった出来事でもあった。
被告は体格の良い男だが、終始焦燥とした面持ちであった。そして、一貫して「私は神に誓って安原涼太さんを殺していません。真犯人は別に居ます。冤罪です」と切なる訴えを続けた。弁護側は、検察の主張する証拠能力の低さについて言及し、「疑わしきは被告人の利益に」という大原則に則り無罪に持ち込もうと目論んでいる。
事件当日、即ち涼太の最期となった夜の行動は概ね明らかにされている。午後六時四十分頃、涼太はまず末吉町で初老男性と落ち合い、コンビニでおでんを購入した。その後、近隣のラブホテルでその男性の相手をし、午後十時十分頃にチェックアウトする。代金は三万五千円であった。尚、この初老男性はアリバイが立証されたため無実が確定している。その後、地下鉄ブルーライン伊勢佐木長者町駅付近まで男性を見送り、日ノ出町駅に向かった。この時の様子を、日ノ出町の青果店店主が目撃している。しかし、まだ終電まで時間があったためか、涼太は再び末吉町に戻り男性に声掛けを行った。そこで、黒いジャンパーを着た男性と日ノ出町へ姿を眩ます。ここから約四十分間の足取りは不明となっており、再びその姿が目撃されたのは事件現場である「寿荘」の前であった。涼太が黒と白のジャンパーを着た外国人風の男性と話し込んだ後、アパートの一室に入る様子を若い男性が目撃している。その外国人が被告人となったネパール人とされているのだ。それが生前最後に目撃された涼太の姿だった。涼太は、その先で待ち受けている運命を知らず、どのような思いでその部屋に向かったのだろう。私はそれを思うと息が詰まる。日ノ出町駅に足を運び、そのまま京急線に乗車していれば事件に巻き込まれることもなかったというのに。彼は、律儀にも毎日必ず終電で帰宅していた。電車を一つ早めることもせず、決まって終電である。この結末は、逃れられぬ彼の宿命だったのだろうか。
裁判において、判で押したような涼太の突飛な一日の行動がますます浮き彫りになる。朝七時十分過ぎの京急線に乗車し、横浜駅を経由して八時過ぎにJR桜木町駅を下車。朝八時半から夕方五時半までの勤務後、横浜ランドマークプラザ五階のトイレで夜用の衣服に着替える。着古されたバーバリーのロングコート、緑のロングスカート、長い黒髪のウィッグは涼太にとって三種の神器であった。そして、涼太の肌のトーンには明らかに不釣り合いな白いファンデーションを塗りたくり、目にはブルーのアイシャドウ、真紅の口紅をもって夜の蝶と化し、その足で日ノ出町に向かう。道すがら、先のコンビニエンスストアでおでんを購入し、日ノ出町や伊勢佐木町、黄金町界隈で男性相手に客引きを行っていた。遺留品である赤い手帳には、その日に相手をした客の年齢、人種、場所、料金が事細かに記録されていた。安い時は二千円でその身を売ったこともあったという。そして、逗子・葉山行きの終電で必ず帰宅する。最後尾より二両目の後方ドアが涼太の定位置であった。逗子・葉山駅のトイレで服を着替え、ウィッグを外し、クレンジングで濃いメイクを落とすのだった。ランドマークプラザのトイレや、京急線での目撃情報も複数寄せられている。周囲の怪訝な視線を物ともせず無心にメイクする痛々しい涼太の姿、日ノ出町の駐車場で男性と行為に及ぶ姿、また、出版社勤務の女性は京急線終電に乗車する涼太の姿を度々目にしていた。ひと目見た時は涼太が男性だと分からなかったらしいが、半分ずれたウィッグと咳払いする声のトーンから、女装した男性であると気がついたという。また、人目も憚らずがさごそと鞄の中を漁り、ある時は菓子パンを、またある時は酒の肴のようなものを手に取り貪り食べている様子や、車窓を鏡として口紅を塗り直し、不敵な笑みを浮かべる姿が非常に異質だったそうだ。隣の席に座り込んできた際、電車の揺れに耐えられず蹌踉めく涼太の腕が折れそうな程に細く、「大丈夫ですか?」とすかさず声を掛けそうになったが、迂闊に話し掛けられぬ異次元の妖気を発していたという。涼太は拒食症を患っていたのだ。被告人も「安原さんは骨と皮だけのような肉体だった」と証言している。この被告人はなんと、涼太と複数回に渡って身体を重ねていた。涼太の殺害は否認していても、涼太との性交渉はあっさり認めている。その時に使用したと思しきコンドームが現場に残っており、それが決め手となって逮捕に至るわけだが、母国には妻子も居るのだ。一体何のつもりで涼太の誘いを受け入れたのだろう。一方の私も、同居する涼太の姿を日々見ていた立場として、彼の痩せこけた身体を見て只事ではない胸騒ぎを募らせたものだった。私が手料理を拵えても「太る」と言って箸もつけないのだ。
また証人尋問において、日ノ出町の青果店店主はこう証言している。
「あの被害者はうちの店の近くでもよく客引きしていた。ある時は男の人を執拗に追いかけ回して、『ねぇ、お茶しません? ねぇ、お茶しません?』と言いながら、うちの店までずかずかと入り込んで客引きするものだから、『客引きなら他所でやってくれ!』と追い返したこともあった」 どこかで聞き覚えのある言葉の断片だった。そう、Z高校文化祭のあの日、涼太は女子高生を相手に「ねぇ、お茶しません?」と執拗に追い回していたのだ。そして、体育会系の連中が蔓延る模擬店にまで躊躇いもなく足を踏み入れ、「他所でやれ!」と追い出されていた。あの日の、切迫したかのように女の子を追い回す涼太の姿は恐ろしく、しかし哀愁を放ち、私は釘付けになったものだった。それから十数年の年月を経て、彼は日ノ出町へと舞台を移し、変わらぬ決まり文句で今度は中年男性を引き寄せている。事件当初は涼太が同性愛者ではないかという見解が広がっていたが、そうではないのだ。涼太の顧客の一人が証言台に立ち、「被害者は『僕はゲイじゃない』と発していた。被害者は、これまでの生涯で女性とお付き合いしたことがないようだった」と語ったのであった。人々はますます混乱する。男色家でもなしに、何故不特定多数の男性に身を売ったのか。堅実なサラリーマンをやっておきながら、何故身の危険も顧みず立ちんぼを毎日続けたのか。コンビニで毎日欠かさず購入したというおでん、深夜の電車での菓子パン、生気の無い白塗り化粧など不可解な行動の数々に、思考を巡らせば巡らすほど安原涼太という人間の謎は深まるばかりであった。
(続く)
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