「実は今、会社を休職している。傷病手当金だけで一人暮らしは厳しくて、実家にも帰れなくて困っていたんだ」
「実家に帰れないって、練馬の実家はどうなったんだ?」
「まだあるけど、実家との関係が悪いから帰れない。休職していることも父親には言っていないから」
もし休職していることを父が知ったら、父は忽ち憤慨して涼太を追及し、その歪んだ根性を叩き直しに来るのだという。父親とはこの当時面識は無かったが、涼太の心を巣食っていたのはあの母親だけでなく父親だったのかもしれない。
「休職って、何があったの?」
私が尋ねると、涼太はそれまでの七年間の歳月を語り始めた。
「お前が噂で聞いていた通り、俺は司法試験を挫折して大学を一年休学した。何もかも終わったと思ったよ。高校時代からの俺の夢が断たれたんだからな。暫くは食事も喉を通らないし、体重も随分落ちていた。父親も、俺が司法試験を諦めたからって脱落者扱いだ。毎日のように『お前は劣っている』みたいなレッテル貼りをしてくるからな。俺は大学を卒業したら、こんな家出て行ってやると心に決めて、就職活動で起死回生を狙うことにしたんだ」
大学三年の時、同級生と一年遅れで就職活動に励んだ涼太は、どうにかして一部上場企業である自動車メーカー、横浜重工業の就職にありついた。横浜重工業に入社出来れば、よほどのことがない限り将来も安泰だろう。息子の世間体を気に掛ける涼太の父親も社名を聞いて一先ず及第点を与えたらしかった。涼太は新入社員研修を経て半年後、経理部に配属される。しかし配属からおよそ四年後、体調に異変を来たし休職。診断名は「鬱病」と「発達障害」であった。涼太は素朴で生真面目ではあるが、きめ細やかな数字を扱う仕事は性分に合わなかったのだろうか。珈琲をちびちび啜る彼の表情は明らかに窶れており、辿々しく近況を語るもその視線は定まらず、時折痙攣するかのように頬を震わせていた。
「お金の面の不安もあるんだが、何よりも独りが心細くなってしまった。こんなこと言うのも恥ずかしいんだけど、俺は友達が居なくて、頼ることの出来そうな人がお前くらいしか思いつかなかったんだ。無理を承知なのは分かっている」
大学を休学したことで自信を削がれ、周りに引けを感じていた涼太は、復学して以降も周囲の学生との関わりは薄く、終始孤独なキャンパス生活を送っていたという。入学当初はあれ程意気込んだ法律の勉強も尻窄みで、必修科目を辛うじて全うし、どうにか単位を取り零すことなく卒業するくらいだった。しかし弁護士が叶わなかったとはいえ、世間的にも名の通った横浜重工業なのだから、そこで結果を出せば生活に困ることはないだろうし、結婚や家庭も夢では無いだろう。思春期と今とでは、女性の目を引く上での条件は次第に変化するのだ。身体能力だけ一丁前の男がいつまでも注目されるほどこの社会も甘くはなかった。涼太は俗に言う大器晩成型だろう。社会人になって初めて、その真価が発揮される人間なのだと。しかしどういうわけか、その算段にも狂いが生じたらしい。彼を我が家に迎えるにあたり、ここまでは合格点だ。ここいらで質問を変えてみよう。
「そういえば、彼女は出来たのかい?」
「いや」
「今でも、強い男は嫌いだ、とか思っているでしょ?」
「……そうだ」
涼太は当時と変わらず依然として孤軍奮闘していた。それがどれほど孤独で苦々しい闘いだったことか。私は悟った。彼の人生は何一つ良い方角へなど向かってはいない。そして、変わらぬ実直さと愚鈍さで今も尚世の中に揉まれているということを。
私の家は、逗子銀座通り商店街から歩いて十五分ほどである。しかしその前に立ち寄りたいところがある。店を後にした私達は蘆花記念公園に繋がる坂道を進む。道すがら潮風の匂いが漂う。今日は公園の広場で遊ぶ家族連れが二組ほど居り、賑わっていた。我が子と戯れる父母の満面の笑み。社会に穢されていない子供達。その傍らで涼太の表情は曇るばかりである。
「どこに向かっているんだ?」
「まあ、ついて来なって」
坂道を登りきって第二休憩所の庭園へ。木々に集く鳥たちの清かな声。快晴の空の下、彼方に広がる雄大で凪いだ青。
「おお」
ここへ来て涼太の表情も少しは明るみを帯びる。海に近いこの街が、少しでも涼太の療養生活の手助けになれば良い。私も原稿執筆で疲れ果てた時などに訪れる憩いの場だ。この空間を訪ねると、私は時間という概念から解き放たれる。
「良い景色だ」
涼太は私の隣に立ち尽くしてそう呟いた後、それなりに黙って海を見つめていた。師走の肌寒い折だが、しばしの間、涼太は微動だにせず息を呑んでいた。気概だけは誰にも負けていなかったあの涼太はどこへ行ってしまったのだろう。こいつから気概を除いたら何も残らないも同然だというのに。
「最近、時々思うんだ。このまま誰にも認められず、誰にも必要とされずに独りで死んでいくんじゃないかって」
漸く口を割った。虚勢を張ることにさえ倦んだ涼太が、遂に私にだけ哀咽する。他の友人にも、職場の同僚にも家族にもひた隠しにし続けたその胸の内だった。およそ三十年の人生で澱のように沈殿した痼の数々。私には分かるのだ。
「休職が始まって、体調が悪くて家の中で、独りで寝たきりになった時、色んな感情が込み上がって、やり切れなくて、涙が出ることもあるくらいだ。このまま独りで過ごすのは耐えられないけど、友人もお前以外いないし、実家にも帰れない」
「実家の父さんには伝えておいた方が良いんじゃないのか。いざという時に、支えになってくれるんじゃないか?」
「あの人とは会いたくないし、話したくもない。あの人、俺が体調を崩しかけて相談した時だって、俺を心配するどころか『中学の塾代、高校から大学までの学費を返済しなさい』なんて言うんだ。俺はもう泣くにも泣けなかったよ。元々は自分の趣味で塾に通わせてZ大学まで入れたくせに、司法試験を挫折したら掌返しやがって、就職してそこで結果を出せなかったからって、今までの教育が無駄金になったから金返せ、だってさ。笑っちゃうだろ。俺は絶対にあの人にお金を返済したりなんかしないよ。そんな筋合いはない。それに、俺は知っている。母さんが死んでから父さんは風俗通いでさ。そこの風俗嬢に惚れ込んじゃって、いくら貢いでいるのか分かったもんじゃないんだよ。仮に俺が言われもない教育費を返したところで、どうせ風俗嬢の手土産代に消えるだけだ。あの人にはびた一文払わないし、もう会いたくもないし、居場所も教えない。あの人は勉強が出来るだけの、ただの馬鹿なんだよ」
勉強が出来るだけのただの馬鹿。この数年間で、涼太も親に対してそのような口を叩くだけの肝は据わったらしかった。母親の忠告に反論さえ出来なかった涼太の成長の片鱗、自我の芽生え。自分の親を馬鹿呼ばわりする程度には意志というものが育まれたようだ。
「少しばかりすっきりしたよ。気分も晴れた。お前の言う通り、確かにここは眺めも良いし、気に入ったよ。ここはお前の家から近いって言ったよな?」
「ああ、そうだ。ここから歩いてすぐだからね。何か落ち込むことがあればここを訪ねてみると良い。多少体調が優れなくても気分転換に来られる距離だ」
この時にはもう私の意向も固まっていた。全てにおいて及第点だ。この哀れなる男を、是非とも我が城に招致しようではないか。大志を抱き、そして自尊心を打ち砕かれたこの独り善がりな男を身近で観察したい。
蘆花記念公園を散策した後、その足で私のアパートを案内する。玄関に入るとすぐにキッチンとダイニング、左手に風呂トイレ、洗面所。ダイニングを隔てた奥に二つのフローリング部屋がある2DK。築年数は二五年と新しくはなく、駅から近くもないし、坂道も昇るし、スーパーも駅前まで出ないといけないので利便性が高いとは言い難いが、この間取りで六万円だ。家賃や水道光熱費を折半出来ると思えば私にとっても利点がある。フローリング部屋は一つが六畳、もう一つが四畳半。これまで、六畳の部屋を寝室に、四畳半の部屋を書斎にしていたが、この度四畳半の部屋を涼太に譲り渡すことにする。少々手狭になる旨は伝えたものの、涼太は「荷物もあまり無いから問題ない」と言って気に留めなかった。
それから、涼太は晴れて私の家の一員となるのだが、確かに彼の言う通り、大してというよりも殆ど荷物はなかった。自宅で使っていたであろう、小ぶりなデスク、ショルダーバッグ、皺だらけの見窄らしいスーツ。私服だってジャージのようなズボンと、地元の店で購入したであろう、安物のTシャツやトレーナーなど、そんなものしか持ち合わせていなかった。彼は昔から洒落っ気というものの欠片もない男だ。これらの服だって一体何年着ているのか。壊滅的なほど美的感覚が無い。美術の成績が芳しくなかったのも頷ける。寝具も買い換えていないのか、あちらこちら破れかかっている。買い換えるのが勿体無いからという、あの母親の倹約精神を彼は受け継いでいるのだ。履き古されたトランクスを不器用に箪笥にしまい、涼太の簡略的な引っ越し作業は意図も容易に完了する。なんと吝嗇で淫靡な部屋であろうか。とてもではないが、法律家を目指した男の部屋とは思えない。
(続く)
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