「漸くサラリーマンらしくなってきたよ」
復帰してから一年ほど過ぎた頃だったか。調子の良いことを言いながら帰宅し、私の手料理を口にする涼太。時刻は午前〇時を回ろうとしている頃合いだった。決算業務の多くを再び任せてもらい、上司からの評価も得られてご満悦なのだろうか。おめでたいことである。そのうち、会社の先輩と合コンに行ってくる、などと言い出すだろうか。しかし、意気揚々と語っているように見せていても、その表情は疲弊を隠し切れずにいる。ただの見栄でしかないことくらい、私は見透かしていた。
「中学の時よりは物分かりのいい奴らだろうと信じた俺が馬鹿だった」
地元のタリーズで語り合った時に見せた、涼太のあの表情。同じではないか。Z高校三年の時、友人にも恵まれず、校内に悪評が蔓延り、窮地に追い込まれた涼太。あの時と同じなのだ。涼太の自尊心は揺るぎないと同時に脆弱でもある。それでも涼太は底意地悪く毎日出社し、京急の終電で帰宅してくる。そんな生活は、彼が絶命するまで三年ほど続いていた。
二〇二四年三月上旬頃、涼太が逗子に帰らなかった。朝私が目を覚ましても不在だったのだ。涼太はこれまで一度も無断外泊をしたことがない。私は、出張でもしているのかもしれない、同居人とはいえ血の繋がりはないのだから、逐一行き先など伝えることもないだろう、そのうち何食わぬ顔をして帰宅すると思っていた。ところが、二日経っても三日経っても帰って来ない。送ったメールも返信がないどころか既読にすらならない。電話だって何度掛けても応答が無い。今までに無いことであった。よもや何かの事件にでも巻き込まれているのでは無いかと、気も坐ろだった。かといって涼太の実家の電話番号も分からないし、涼太自身が実家と連絡を取っていないから勝手に電話を掛けたり家に押しかけたりするのは憚られた。私は意を決して、横浜重工業の電話番号を調べて連絡をしてみた。総務部に繋がったようで、同居している経理部経理課の安原涼太が消息不明になり、そちらに出社していないかと確認を取ったところ、ここ数日間涼太は会社を無断欠勤していることが分かった。復職以来、無断欠勤など一度もしていなかった涼太が、急に何の連絡もなしに連日会社を休んでいたため、会社でも「何か起きたのでは?」と物議を醸していたようであった。そして、私は警察に捜索願を出すに至った。
「同居人は横浜の繁華街で売春をしているので、何か事件に巻き込まれたかもしれません」
依然として連絡は無きまま、職場に連絡しても何ら進展もなく、実家にも連絡が取れず万策が尽きていた。最後の砦に頼らざるを得ない状況だった。涼太の死を知ったのは、それから更に数日経ってからのことであった。横浜市の日ノ出町の「寿荘」というアパート一室で、殺害現場に残されていた横浜重工業の社員証から身元が確認された。涼太の死を知った私は居ても立ってもいられず、気が付けば蘆花記念公園に足を運んでいた。庭園を宛てもなく彷徨い、富士山を眺めてみても気が気ではなくて、浮浪者のようにあちらこちらを行き交った。私にとっても流石に計算外だったのだ。死なない程度に世話をしていたつもりが、他所で息絶えていたとは。孤独な私は唯一の親友を失って、本当に独りになった。彼方の海に冥福を祈る。
大切な親友などと言っておきながら何故あなたは涼太を陥れた、と言うのか。自分だって涼太を見下していたくせに、あなたも虐めの加害者だ、そんなもの本当の親友ではないと言うのか。もしそう思うのなら、何か勘違いをしているようだ。何故なら、私と涼太は初めから親友として引き合わされる運命だったからである。確かに私と彼は、恋愛嗜好も価値観も全く相容れない間柄であった。実際、同居している間も衝突したことはあった。それでも親友は親友なのだ。何でも意思疎通でき、意気投合出来る「仲良しこよし」なんか親友とは言わないのだ。どんなに仲違いしても、価値観の相違があっても、怒鳴り合いの喧嘩になろうと切っても切れぬ腐れ縁、一蓮托生、運命共同体。それこそ親友と定義すべきものである。私たちは二人で対にならなければ生きられぬ人間なのだ。
涼太の父親が遺品整理に訪れてから約一ヶ月後の朝七時、私は逗子海岸へ続くシンボルロード沿いの喫茶店にて、奥の席に腰掛けている。朝六時半から営業しているこの喫茶店では、「朝活」に励む客も見受けられる。私も早起きに成功した際には、サイフォンで淹れるブレンド珈琲のみ注文し、ラップトップを広げ原稿執筆に勤しんだものだった。白を基調とした内観は開放的で、風向き次第では潮風の匂いもほんのりと漂う。この店を訪ねる者は、海沿いの街に住む悦びをこういう時に噛み締めている。こんな小洒落た店舗で朝活に励めるのだから。丁度通学の時間帯で、多くの男子学生が窓の外を横切る。その小径の先には中高一貫の、進学校として知られる男子校がある。行ってらっしゃい、今日もお勉強頑張れよ、涼太や私みたいにならないようにね、と胸中で激励を送る。
今日の朝活の重要アイテムは他でもない、この一冊の大学ノートである。今日、私は敢えてラップトップは持ち込まず、この冊子だけ持参し、注文したブレンド珈琲と甘味を待っているところだ。私は普段、喫茶店では珈琲しか頼まないことが多いが、今日は糖分を欲している。私が持ち込んだ冊子とは、生前の涼太が書き記していた大学ノートである。涼太が失踪する数日前だったか、自室に籠った涼太が何をしているのかと思えば、一心不乱にこのノートを殴り書きしていた。今まで物書きなどしたこともなかった筈の涼太が、思い立ったかのように筆を進めているので驚いたものだった。あの痩せこけた身体で、一切の食事も口にせず鬼のような形相で必死に綴っていたものだから、私も話しかけることさえ出来ず、側から見守る他なかった。彼はもう現世に魂が無かった。何の標題も無いピンク色の、A4サイズの大学ノート。これは涼太の遺書であろうか。恐らく、全ての答えはここにあるだろう。遺品整理に来た父親の目には触れぬよう、私が匿っておいたものだ。私はまだ目を通していないが、この冊子の存在はあの父親には知られたくなかった。ただの直感だが、あの父親を最初の読者にしたくなかった。涼太は生前、最期を迎える時まで実家に居住する父親とは頑なに連絡を取ろうとはしなかったのだから。恐らくこの冊子には涼太の魂の叫びが綴られているだろう。私だって怖い。怖いから今までこれを開かなかった。ネットを騒がせている涼太の真相がここに眠っているかもしれないのだ。こんなものを自宅で読んだら、涼太の死霊が現れるのではないか。そう思うと、どうしても自宅でこの表紙を開くのは憚られ、この開放的な喫茶店で気を紛らわしながら目を通してみようと思ったわけだ。注文したブレンド珈琲がテーブルに置かれた頃合いに、私は息を呑んで決意を固め、そっと薄桃色の表紙を開く。
(続く)
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