後日、担任及び生活指導の教員から、奴らに対して直々に譴責があったという。譴責とは、Z高校も随分と甘い処分を下したものだ。除籍にでもして中卒にすればよかったところを、たかが譴責処分とは。百歩譲って停学くらいにしてやってもよかったのではないか。厳重注意したところで、ほとぼりが冷めれば奴らはまた繰り返す。数ヶ月間停学にでもしてやれば奴らも少しは大人しくなるだろうに。実際のところ、彼らの俺に対する嫌がらせは収束していった。もう、ボロ雑巾を後ろから投げつけられることも、面と向かって「殺すぞ」「キモい」などと言われることもなくなった。同時に、話し相手も居なくなった。この件以来、社交辞令でさえ誰も俺と口を聞こうとしなかったし、体育の授業だって俺は居ない人間として扱われていた。これ以上の面倒ごとを避けるべく、周囲は俺の存在を否定した。学校中どこを見渡しても、仲間と呼べる人間が居ない。定期考査が終わって、浮かれて街に繰り出して遊ぶ連中を横目に、俺は帰宅する以外の選択肢は無かった。家で、なんとなく六法全書なんかを片手に小手先の法律勉強をしてみるのだが、どうも身が入らない。何故俺は、Z高校に入っても尚こんなに満たされないのだ? 自分を守るために手に入れたZブランドだが、俺は更に締め付けられて身動きが取れなくなった。親父から聞いた話とまるで違うのだ。何が、「Z高校では高い志を持った同士が集まるから、中学の奴らなんかと違って切磋琢磨出来る」だ。Z高校になんか行ったこともないくせに、よく言ったものだ。あいつらは高い志なんか持っていないし、切磋琢磨どころか話し相手すら居ないではないか。俺は漸く気づいたのだ。何も分かっていないのは親父の方だったと。もっと早く気がつけた、気がつくべきだった。俺は親父のせいで、この三年間を棒に振ろうとしている。とうとう、高校三年の夏休みまで誰とも会話せず、休み時間は図書室で過ごすのが日課になっていた。修学旅行なんか酷いものだった。独りぼっちで街を彷徨うだけの北海道旅行。自由行動の時間などと言われても行く宛てもなくて、マクドナルドで食事を摂り、集合時間まで時間を潰すだけの退屈な三泊四日。ホテルでも所在が無くて、就寝時間が近くなるまでホテル内の公共便所の個室で時間を過ごす。地獄のようだった。孤独な俺が修学旅行なんか行ったところで惨めさが募るだけなのに、なぜこれも「必修」なのか。こんなくだらぬ旅行という名のお遊びが必修だなんて正気とは到底思えないし、考えた奴の品性を疑わざるを得ない。そして、高校三年にもなると、同級生の何人かは彼女を作って放蕩を恣にしている。クラス内の随所で「あいつが彼女とやった」とか、そんな立ち話が耳に入るのだ。ほら見たことか、中学で見た猿どもの集いと同じではないか。かくいう俺には彼女を紹介してもらえる友達なんか居ないし、文化祭なんか最初の一年目しか行っていない。行ったところで所在が無いことが分かってしまった以上は無意味だからだ。出席は取られるので本来なら行かねばならないが、その為だけに態々一時間半もかけて練馬からH駅まで赴くことさえ億劫だった。女の子と話すことも出来ないのにZ高校文化祭なんか行って何が楽しいというのだ。友達や部活仲間と出し物をするわけでもあるまいし、行ったとて孤独で空虚な時間を過ごすことが目に見えているから非合理極まりないのだ。それなら小手先でも六法全書を家で読んだ方がまだ身になるではないか。だから俺は、文化祭当日は自宅に籠りっきりだった。翌日、何人の女の子と連絡先を交換したとか、そんな会話が耐えられなくてすかさず図書室に逃げ込んだ。卒業するまで、俺は腫れ物扱いだったのだ。痛々しいのに口を挟むとすぐ教員に報告して面倒ごとに巻き込まれるから、関わらないのが無難な人物。奴らはそんな風評を学校中に撒き散らして、俺はどこへ行ったって後ろ指を指されるだけ。陰では笑い物にされていた。家では父親が「涼太は司法試験に受かることだけ考えていれば良い」などといつもその場凌ぎで調子の良いことばかり諭して、俺がどんな思いでZ高校での日々を過ごしているかなど気にも留めていない。母親は母親で、そんな父に盲目的に頷くだけで頼りにならない。捌け口になってくれたのは、今の同居人であるあいつだけ。あいつはいつも生返事だけれど、俺の話に耳を傾けてくれる。それだけで俺は救済された。あいつとは高校三年の夏休みに語り合ったのを最後に、暫くは音沙汰が無かった。次に顔を合わせたのは逗子での同居を決めた時だったのだ。というより、Z大学で休学をして以降、俺は周囲に心を完全に閉ざし、誰とも関わる気が失せていた。そう、母親の死によって俺は絶望の淵に落とされたのだ。
孤独なままZ高校を卒業し、大学で返り咲くことを心に誓ってZ大学法学部法律学科に進学した俺は、まずはダブルスクールの為に専門学校への入学を申し込んだ。俺の決意は更に固いものとなっていたのだ。中学もZ高校も間違いだらけで、俺はその間違いを正すべく、何が何でも法曹の道に進んでやろうと固く決心していた。世の中には俺のような人間がいるのだから、俺はそんな人々を救う光になる。俺はサークルにも入らず、講義だって全て出席して、夕方以降は専門学校という生活を一年間ほど送っていた。アルバイトはせず、今までこの俺を嘲笑した全ての奴らを見返すべく、法律の勉強に明け暮れる日々だった。色恋沙汰に感けても居られなかった。何としても、将来あいつらに「俺が間違っていたんだ」と言わせしめてやる。その思いが偏に俺を突き動かした。周りの連中はサークルで浮かれているようだった。あるサークルでは、新歓コンパでテーブルにビールやら焼酎やらがびっしりと並んで、浴びるほど酒を飲んで、明け方には記憶を失くし、酔い潰れて嘔吐する始末だったという。またあるサークルでは、新歓合宿の際に一つだけ予備の部屋を多く確保するのだという。その一室を何に用いるか分かるか? 新入生を含む男女が秘め事をするための部屋というわけだ。この他、Z大学学園祭の名物である「ミスコン」を主催するサークルでは、H駅の裏側の商店街を全裸で闊歩した学生が問題となって報道され、俺が卒業した後には集団強姦が発覚して大学から解散を命じられるなど、肉欲に躍らされた雄猿の掃溜めだった。奴らはZ大学創始者の本など一冊も目を通していないばかりか、手に取ったかどうかさえ疑わしい連中だ。そんな奴らが堂々とZブランドなんか引き提げやがって、お前ら風情が「Zボーイ」を名乗るなど恥知らず、無知蒙昧にも程がある。高価な服飾で上辺だけ着飾って、金に物を云わせて持ち前の金玉を揺さぶらせ、口八丁で自尊心と性欲だけは一丁前の、碌に授業にも出ない酒浸り、とても正気とは思えぬ連中が偉そうに、全く哄笑せざるを得ないというものだ。奴等の嗜みなんて飲酒と性愛くらいである。それなのに、一体全体、この世はまるでZ大学の名を執拗に買い被るひねくれ根性の吹き溜まりではないか。皆、よく覚えておくが良い! 如何に世間に名を馳せたZ高校、Z大学であっても、所詮ここの男子学生も多分に漏れず情欲塗れの贋金であるということを! 講義にも出席しないくせに堂々とZ大学生を気取る、虎の威を借る狐が五万と存在することを、常に肝に銘じておかねばならない! その実はアルコールに溺れ、他の下衆男と同様にその肉の棒を硬くさせ、それを出し入れさせて白濁液を放出したくてたまらない男であることを、頭の片隅に入れておくように! さもないと、大した学も無くZブランドを堂々と引っ提げただけの空疎な未熟者、人の形をした雄ゴリラに姦通を強いられる羽目になるぞ! 尚、Z大学には「学内協力」という概念がある。これは、社会に出た後でも同じZ大学を出た者同士なら協力し合うべきである、という考えだ。そんな中で、何故俺がここまで同じZ大学の奴らを貶めるか分かるか? それは、奴らはZ大学の風上にも置けない門外漢だからである。あのような痴人など俺に言わせれば、Z大学を名乗る資格も無い色情狂、人皮を被った野獣でしかないのである! 俺は、あんな奴らをZ大学の学生、卒業生と見做すことは決してない! あいつらは「学内」の人間なんかではないから協力など論外なのだ! しかしこの点において、同居人のあいつは謙虚である。あいつは「Zボーイヅラ」など微塵にも垣間見せず、ただ流浪の民のように流離ながら生きている。その付加価値に驕ることもせず、只管に自由人でいるだけだ。しかし、所詮はあいつも胡散臭い眉唾であることはまだまだ言及させてもらうつもりでいるので、ここでは割愛するとしよう。いずれにせよ、俺には学問がある。もう今までと違って脇目を振る暇などない。どうせこの馬鹿どもは数年後にはこの俺に平伏す宿命なのだから、その時までせいぜい楽しめ……。
(続く)
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