手弱男(たおやお)と作法 vol.20 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

 現在、俺は横浜重工業の経理部経理課に務める会社員だ。神奈川県逗子市桜山に居住し、最寄りの逗子・葉山駅から横浜駅まで、横浜駅から京浜東北線で隣の桜木町駅までただ移動する。横浜重工業に出社し、デスクに着くや否や、ありったけの書類、ファイルボックスを取り出し、俺のデスクの左右に乱雑に置く。横に座る社員が視界に入らぬように。パソコンの電源を入れ、モニターを正面に設置し、向かいに座る奴の視界も阻む。この会社で乗り切る為に砦柵(さいさく)を築くのだ。これが朝の日課である。俺は誰の声にも耳を傾けたくはないし、誰のことも視界に入れたくないから、俺自身の城に閉じ籠らんとする、その意思表示だ。仕事中はなるべく顔を下げて物音も立てず、ネットニュースを紙に印刷し、記事の切り抜きに専念する。個人用の電話はあるが最近は殆ど鳴ることはない。かつては頻繁に罵声を浴びせてきた課長、課長補、係長に話し掛けられることも無くなった。仕事という仕事は後輩達が掻っ攫ってしまった。途中、うとうとして意識が飛んでしまいそうになる。これではまずいと、一つ下の階の小さな会議室で仮眠を取る。仮眠のつもりが小一時間寝過ごしてしまうこともある。でも、仕方がないのだ。怠慢社員と罵られようが、この俺の二重生活を知れば皆きっと驚愕し、恐れをなして平伏すであろう。いや、もう知られているから誰も話しかけないのだろうか。席に戻って眠気が覚めたら、またニュース記事の切り取りにかかる。正午の昼休憩を迎えたら、誰よりも早くオフィスの外へ出る。自社ビルには社員食堂も備わっているが使わない。誰とも顔をつけ合わせたくないからだ。大抵、昼食は摂らない。就業中の主な食事はクッキーとコーヒーだけだ。主要な栄養素はサプリメントで摂取している。一時間という短い休憩時間の間、直前までは社外で時間を潰す。休憩後もまた鹿砦(ろくさい)に籠る。周囲の蔑視をものともせず、ただ只管自分の仕事に専念する。俺はこの横浜重工業に舞い降りた唯一無二の俊彦(しゅんげん)。何故なら、昼も夜も働く男だから。ここに居るどんな奴らよりも合理的に収入を得ているのだ。バッグに大量に収納されている避妊具やダイエットサプリを見れば、誰も俺のことを舐めてかかることもなくなろう。途中、またうとうとしかかったので男子便所に向かい、懐に隠し持っているファンデーションを塗り直す。真っ白なファンデーション。今日の俺も綺麗だ。でも、夜はもっと綺麗になる。中年の親父達を相手にする為に、麗しい女に変貌を遂げるのだ。そうしてまたデスクに戻り、終業時刻まで要塞に身を隠す。こうして俺はこの会社で心の均衡を保つよう努めている。

「経営幹部となれるよう頑張ります!」

入社式当日、そんな意気込みを人事部に堂々と宣言したものだった。忌まわしい記憶、忘れて欲しい記憶。何故あんなことを意気揚々と誓ったのだろう。経理部経理課に配属されるも、まともに仕事をしていたのは最初の三年くらいだったか。俺は俺なりに、どうにかやり抜こうとはしてきた。だが結果に繋がらなかった。とはいえ、この俺を法務部に配属しなかった会社側の落ち度でもある。考えれば分かるだろうに。面接の時だって、法律の勉強をやってきたとPRしたではないか。それを承知の上で、俺自身にも非があるとはいえ異なる部署に配属したのは会社側の過ちではないのか。しかし悲しいかな、今更それを訴えたところでどうにもならないことを知っている俺はなす術なく、今の部署でやり過ごす他なかった。

「お前、また伝票間違えて、この仕事何回やってるんだ」

「すみません……」

「すみませんじゃなくて、ちゃんと仕事してくれよ! 直したらまた持って来い」

来る日も来る日も資料の修正は重なり、一人狼狽する日々が続いたものだった。連日に渡り俺を叱責する上司や先輩の声と、それに呼応する謝罪がいつも轟いていた。謝罪は涙声になることも少なくなかった。すみません、ごめんなさい、申し訳ございません、どうしてそんなに冷たい言い方をするんですか、僕だって間違えたくて間違えたんじゃないんですよ、ごめんなさいって何度も謝っているじゃないですか……。

「安原君、どうしたの?」

言い訳も虚しく余計に周囲の怒りを買い、給湯室で一人泣いていたら、他部署の女性社員に声を掛けられたこともあった。でも俺は何も答えられなかった。訴えたいこと、声に出したいことは山ほどあった筈なのに、いざという時に救いを求められないのだ。Z大学を卒業した有能な社員と思われていたが、緻密性を求められる数字の仕事で、どういうわけか俺はミスを連発する。赫怒(かくど)される度に俺の自尊心は深く抉られる。誉められたことなんか無い。便所の個室で一人泣いたこともあったし、机で泣きながら業務に励むこともあった。俺は仕事も満足に出来ない社員。俺は上司に言わせれば、出来て当たり前の仕事もこなせない社員。俺は自分の責任を果たせない無能な社員。上司も先輩も俺のことが嫌い。後輩も俺のことを馬鹿にしている。俺はなんて駄目な社員なのだ。上司や先輩は皆仕事が出来るから、ただ一人仕事の出来ない俺だけが悪いのだ。こんな駄目な自分を、自分で罰してやりたい。こんな日々が三年余り続き、徐々に心身は蝕まれる。

「あの子、またやらかしてる」

周囲に居る社員の、そんな噂話が耳に届く。俺は入社三年目を迎える頃合いにはすっかり曰く付き社員の烙印を押されていた。査定も五段階評価のうち二に留まる。それでもお情けであろう。経営幹部どころか係長への昇格だって危ぶまれている。相談できる同僚も周りに居なくて、恥ずかしながら親父に一度だけ電話してしまったことがあった。俺は社内で交友関係を築くことも出来ず、同居しているあいつとも、当時は長らく連絡をとっていなかったし、仕事の悩みを打ち明けられそうな身近な人物というと父親くらいしか思いつかない。仕事が全く自分に合っていなくてミスばかり、会社からの評価も芳しくないことを打ち明けてしまった。今思うと、何故父親にあのようなことを吐露したのか分からないが、それくらい当時は追い詰められていたのだろう。

「何だよ、お前、男のくせに会社で評価されていないのか?」

「三年目にもなってそんな簡単な仕事でミスをして、男として恥ずかしいと思わないのか。そんなことで将来、一家の大黒柱が務まると思うのか?」

「お前には失望した。今まで、お前に幾ら投資したと思っているんだ。三十歳までに係長になれなかったら、中学の塾代、高校と大学の学費は返済してもらう。良いな?」

血迷って親父になど相談した俺が愚かだった。今まで幾らお前に投資したと思っている、今までの学費を全額返済しろ、などと罵るのだから。お門違いもいいところだった。何故って、元はといえば全部親父が好きでやったことなのだ。そもそも俺は自らの意思でZ大学を志望したわけではなかった。男なら一流大学に行って成功者になるように、と最初に吹き込んだのは親父だからだ。そうでもなければ、俺だってスポーツに励んで、あの吉井には及ばずともその取り巻きくらいの地位には付けた筈だった。勉強だけやっていればいいような口振りで俺をいつも諭して、俺は親父に長い間洗脳されていたのだ。初めから親父の忠告など耳を傾けるべきではなかった。中学生にもなって、主体性を持って然るべき年頃に、俺も母親同様に親父の傀儡だった。

「いい歳こいて親の言いなりか。そんなんだからモテないんだよ!」

中学三年の頃、あいつが放った一言を今でも鮮明に覚えている。あの言葉で俺も気が付けたはずなのに、俺は親父を恐れるがあまり何も言い返すことが出来なかった。あいつと口を聞いたことが親父に知られれば鉄拳を喰らわされるかもしれない。俺はいつも親父の顔色を窺い、無意識のうちに親父の仰せのままに、理想の息子になろうとしていただけだった。今まで理想の息子にならされていた成れの果てがこの体たらくだから笑えてしまう。しかし悲しいことに、今更後の祭りだった。今現在、俺は横浜重工業の社員である。もう引き返せないのだ。親父に洗脳された俺は、ここを去ったところで同じような生き方しか出来ない身体になってしまった。多感な時期を勉強しかして来なかった俺は、よもやスポーツ選手や、同居人のようにアーティストなんか今から目指せるはずもないし、今の羽振りでは転職先だって見つかるかどうか定かではない。見つかったところで状況が好転するとも思えないのだ。俺は教科書通りの人生しか歩めないように洗礼を受けてしまって久しいが、今やその教科書通りの人生さえ雲行きが怪しい。仕事でもうだつの上がらぬ日々は依然続いた。新入社員みたいなミスばっかりして、お前この仕事何年やっているんだ、あいつは飲み会にも来ないしノリが悪い、お前この仕事向いてないよ、と。飲み会なんか行く訳ないではないか。俺は夜の仕事をやっている、夜の蝶なのだ。こんな俺も、経理部の飲み会には一度だけ顔を出したことがある。若手男性社員による「一発芸」、などという忌まわしき伝統に毒され、小手先だけの手品で会場を白けさせてからは一度も行っていない。当時はそんな古臭い伝統も残っていたのだ。そんな伝統にこだわっている会社が悪いというのに、俺は飲み会でも後ろ指を指される。更に、俺は下戸だというのに、強制的にビールを注ぎ「飲みの席で飲まない男とか許せない」などと部長が言い出すものだから、二度と飲み会なんか行くまいと固く誓った。誰が何を言おうが俺は酒が飲めないので、酒の強要はストレスである。そして、酒を注いでも飲まない部下を抱えていることが上司にとってストレスである。よって、俺が参加することによって互いに不幸になる。故に、飲み会に行くべきではない。これ以上に単純明快な帰結は無いであろう。ここ最近では「あいつはどうせ飲み会には来ないだろう」という人物像が定着しているので、飲み会勧誘が来ることも無くなった。良い気味だ。

 親父からはその後定期的に電話が掛かってくるようになった。ちゃんと仕事しているのか、係長になれたか、なんだ未だなれていないのか、男がそんなことでは結婚出来ないぞ、あれほどお前に投資したのに、今までの学費を全部返せ……。

(続く)

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