手弱男(たおやお)と作法 vol.24 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

——こいつは男の頂点、あたしは男の底辺。あたしみたいな底辺に、お前みたいな頂点の男がぱっくりと口を開けて、狐のように薄い目をして、その腰を小刻みに激しく痙攣させ、歓喜の声を伴って熱い液を垂らす。

「あなた、この間の客とアレしたの?」

この辺りの街娼は外国人も多く、顔馴染みとなったタイ人のニューハーフ娼婦があたしに尋ねた。その面持ちは驚嘆と侮蔑を孕んでいる。

「ええ、やったわ」

あたしにとって二人目の客は四十代の会社員男性だった。伊勢佐木町で「あたしと遊びません? イチゴーで」と声を掛けて捕まえた客だ。

「君、名前は?」

「さゆりっていいます!」

二回目の客を殊の外容易く手に入れたものだから、あたしも少々図に乗っていたようだ。この界隈に点在するホテルのどこかに入り、また男に抱かれ、金をせびろうと思っていた。しかし男が指をさしたのはラブホテルではなかった。日ノ出町にあるコインパーキングだ。

「え、ここでするの?」

「うん、ここだ」

「ここって、駐車場よ? 誰か来ちゃうわ」

「大丈夫だよ。さあ、そこへ行って」

男は車の陰を指差して、何故かあたしだけ一人で向かうよう指図している。あたしは街娼の駆け出しにして、少々面倒な客を引いてしまったかもしれない。

「そこの車の脇で、こっちを向きながら立ちションしてよ」

あたしは一瞬耳を疑った。そう来たか、と思った。野外で立ち小便などあたしには考えられないことだった。小学生以前がどうであったか記憶にないが、むろん中学生にもなって公共の場で白昼堂々で用を足した経験などない。ましてや産まれて初めて人前で排尿することになろうとは。拒否すべきではないかという考えも少なからず過った。しかし、あたしはここで転生すると決めたのだ。男達の欲望は全て叶え、報復を誓ってこの街に来た。この程度の要求に怯むようなあたしではない。

「わかったわ。ちゃんと見ていてね」

そうしてあたしは男が見守る中で排尿した。その次の瞬間には、興奮滾る男に抱き止められ、立ったまま後ろから犯された。屋外で男に犯されるだなんて。会社の人間に万が一見られたらどうしよう、という不安も脳裏を過った。しかし、見られたなら寧ろ本望だ。あたしの煩悩と本性をまざまざと目に焼き付けてやれば良いのだ。見たかお前ら、これがあたしの生き様だ。あたしはこれで生きていく女なのだ。男は一言「なかなか良かったぜ」と言い残してあたしに代金を差し出した。

「姉ちゃん、見かけない顔だが、新顔だろ?」

その男と別れて阪東橋付近を歩いていたら、見知らぬ男があたしに声を掛けた。明らかに堅気ではない風格を漂わせる厳つい男。同じクラスに居たら間違いなく敵視していたであろう、あたしが嫌いな男。

「うちの組はここら辺を取り仕切っているもんでね。あんたもうちに任せてくれないか。ここはあんたみたいな子が一人で商売するところじゃないんだ」

「どういうことです?」

「姉ちゃん、まだこの仕事初めて間もないから知らないんだろうけど、想像してみ? 客の中には危ない奴だって居る。金をちょろまかす奴も居れば、『指の骨を折らせてくれ!』なんて言う親父だって中には居るんだぞ。そんな奴に出会して、あんたのその細い身体でどうやって対抗しようって言うんだ。俺らが後ろ盾になれば、何か起きた時に呼んでくれれば良いさ。一回につき五千円、うちに支払うってことでどうだ。悪い話じゃないだろ?」

初対面で何を言い出すのかと思いきや、あたしにみかじめ料を払えというのだ。これはまずいと思った。みかじめ料を支払えば、万が一客とトラブルになった時に対処してくれるのだろうが、一回五千円は難しい相談だ。あたしが身を削って得た報酬の約三分の一もの額を搾取されるのは抵抗がある。何しろあたしは、同居人から医療費を全額請求するため弁護士を雇わねばならないし、あいつの悠々自適ぶりを暴くために探偵に素行調査も依頼せねばなるまい。これから先、出費が嵩むのだ。

「いや、す、す、すみません、な、なんというかその……」

「まあ、今日の今日で決めなくても良いが、検討しておいてもらいたい。また会おう」

突然の出来事に戦々恐々とするあたしを見て、その男はいやらしく微笑み、そう言い残して立ち去って行った。これがデリヘル嬢の頃には無かった、立ちんぼの宿命か。乗り越えねばならぬ壁というものか。初日は好調と思ったものの、右肩上がりとはならないようだ。あの男はいずれまたあたしの前に現れる。ここは時間を稼ぐのが得策と思われたが、果たしてどうなるか。

 しかし、その後もあたしは男の欲望に全て応えてやった。来る日も来る日もランドマークプラザで厚化粧を施し、日ノ出町界隈を彷徨き、客を引く。SNSの裏アカウントも駆使し、あらゆる手段を講じて客を取る。一日四人というノルマを自分に課して。逗子・葉山行きの京浜急行終電は午後十一時四十五分。毎日必ずこの電車で帰宅した。終列車の最後尾より二両目の後方ドアから乗り込むのがあたしの日課。夜の任務を成し遂げて気怠いため息をつく。小腹が空くのでコンビニで買っておいた酒のつまみを夜食がわりに頬張る。この終列車も顔馴染みがちらほらと見受けられるが、怪訝な視線には慣れたものだ。電車の窓を鏡として赤い口紅を塗り直す。男との熱い接吻で崩れた唇をそのままにしては不恰好だから、再び真っ赤に染める。それは唇からはみ出るくらいが望ましい。逗子・葉山駅の男子便所で化粧を落とすのだが、駅に到着するまでの数十分の間でさえも崩れた化粧を人目に晒すわけにはいかないからだ。男子トイレで徐に化粧を落とすあたしを、仕事帰りのサラリーマンが背後から目の当たりにして硬直している。何がおかしいのか知らないが、これもあたしの使命のうちだ。そして、素面に戻ったあたしは同居人を起こさぬよう何食わぬ顔で帰宅し、歯磨きとシャワーだけ済ませて就寝する。こんな生活を毎日続けた。

 馴染みの客も居れば、一期一会の二度と会わぬ男も居た。この街では男なんて、あたしが上昇するための踏み台のようなものだ。二度と合わなくたって使い捨てにすれば良い。同じ業界勤務の管理職男性はあたしのお得意さんで、そうした客には仕事で活用出来そうなネットニュース記事を昼職の勤務中に印刷し、切り取り、スクラップする。それを手渡して追加料金を少しばかり頂戴するわけだ。

「俺、ゲイじゃないんだけどさ、色んな女とやるのに飽きたから、女装とやってみようと思ってさ」

こんなことを言い出す客も意外に存在する。生まれ持っての女誑しで、両手に収まらぬ程に異性と体を重ね、女の子との性交に飽きて、火遊びのように女装を買う男。聞けばその男は、小六にして初体験を済ませたらしい。あの吉井をも凌駕する、放蕩の限りを尽くした、男の頂点に君臨する人物。願ったり叶ったりとはこのことであった。あたしは、こういう男に最も犯されたいのだ。

「あー、やばい……。出そう、いく、いくよ!」

こんな男でさえ、決まって最後にはあたしに跪く。こいつは、その無防備でみっともない絶頂の顔を、これまで何十人もの女性に見せつけてきたのだろう。そう思うと可笑しくて仕方がない。良いのかしら、こんなあたしにそのような情けない顔を見せて。こいつは男の頂点、あたしは男の底辺。あたしみたいな底辺に、お前みたいな頂点の男がぱっくりと口を開けて、狐のように薄い目をして、その腰を小刻みに激しく痙攣させ、歓喜の声を伴って熱い液を垂らす。これぞ下克上、これまでの人生で一度も味わったことのない充足であった。

「やっぱ女の子の方が気持ち良いな。とりあえず、一万五千だよな。ほら、やるよ。じゃあな」

枕元での戯れもなく、なんと簡素な後始末であろうか。しかしこの客に限らず、あたしは客と仲睦まじく会話などしない。何故なら、あたしにとって男はただの踏み台だから。仕事人のあたしに息つく暇など無い。用が済んだらさっさと次の客を引き、時間の許す限り金をせびるのだ。

(続く)

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