手弱男(たおやお)と作法 vol.27 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

——僕は、自分らしく干されるほうが良いと思うね

「涼太、ちょっと痩せ過ぎじゃない? 僕が作ったご飯も最近全然食べてないし。普段何食べてるの?」

同居人もあたしの体型が気になっているようだった。確かに同居人はあたしに手料理を拵えてくれる。毎度のことながら頼んではいない。自分が作りたいだけのくせに、余計な世話を焼きやがって。

「飯なら食ってんだよ! ほらよ!」

あたしは鞄から錠剤を取り出す。逗子・葉山駅前のドラッグストアで購入したダイエットサプリ。あたしはそれを開封して、呑気な親友の目の前で水も口に含まず次々にばりばりと錠剤を噛み砕く。

「そんなもの、食事じゃないだろ! それに、そんなに何錠も口にして、正気なのか?」

正気でないのはお前の方だ。あたしは右手に持っていたグラスの水を、親友の顔面めがけてぶちまけてやった。そして、空になったグラスを親友の額めがけて叩きつけた。弾けた硝子が床に散る。軽やかな音色だ。親友の額から流れる一筋の血液。ざまあ見ろ、悔しかったらグラスで殴り返してみるが良い。

「正気も正気だよ! お前に俺の気持ちなんか分かんないだろ! 大体、お前はいつ俺の医療費を払ってくれんだよ! 『涼太は会社で大変な思いをしているから、楽しく生きてる僕がこの家の家賃と医療費を全部出すよ』って、なんで言わないんだよ! 好きなことだけやって能天気に暮らすお前に俺の気持ちなんか分かんねぇよ! 恥知らず! 薄情者! 死ね! 死なないんだったら俺が今度殺す!」

あたしは怒り心頭で、呻き声を上げながらダイエットサプリを箱ごと全て噛み砕き、飲み込んでやった。この分からず屋の蛆虫が。いつもあたしを見透かしたような顔をして、自分だけ競争から抜け駆けし、のうのうと自由に生活して、会社勤めと娼婦の二重生活に囚われるあたしの心情など、お前には分からない。所詮こいつは自分にしか興味のない男だ。手料理も家仕事も自分が好きでやっているだけで、本当はあたしの為でもなんでもない。目の前で加速度的に壊れていくあたしを見て楽しいだろう。もっと見せてやるよ。素知らぬ顔をしていても、こいつもあたしが街で立っていることを薄々気がついているはずだ。法学部へ進学して弁護士に、なんて語っていたのが夢のようだろう。今のあたしを見てみろよ。お前が望んだあたしの凋落、さぞ腹が捩れるであろう。

「ああ、まあ落ち着けって」

あたしが激昂する時、同居人はいつもあたしの背中を摩る。あたしから邪気を消し去ろうとしている。こういう時だけいつも狡い奴め。

「何か食べたいもの言ってよ、作るからさ」

要らないと言っているのだが、この木偶の坊が作りたくてうずうずしているようだから特別に要望を送ってやろう。

「おでん」

「おでんね、了解。じゃあ、具材買ってくるわ」

「蒟蒻と白滝だけで良い」

「なんで? 大根とか卵とか、練り物とかも食べたいじゃん」

「蒟蒻と白滝だけで良い」

「まあ、分かったよ。僕は他にも食べたいから、とりあえず銀座商店街で買ってくるよ」

蒟蒻と白滝だと言っているだろうが、この破落戸(ごろつき)が。鬱陶しいからさっさとあたしの前から消え失せろ。

「もし外に出る気力があるのなら、気分転換にでも買い物しようか」

何故かあたしは同居人の買い出しに付き合わされる。土曜日の昼下がり、逗子駅前のスーパー、銀座通り商店街の豆腐屋などで具材を買い集める。道中、あたしが初めて逗子を訪れたときにこいつが案内してくれた喫茶付きの西洋菓子店を横目に見る。アイスクリーム屋に並ぶ糞餓鬼が、頬が窪むほどに痩せこけた、目の虚なあたしを怪訝そうに凝視する。

「じろじろ見てんじゃねぇよ、ドブネズミ!」

久しぶりの穏やかな時間だ。親友も、あたしを連れて歩いて楽しいだろう。土日も夜になると日ノ出町に繰り出すのだが、昼間は大概部屋で寝てばかりだ。逗子の街で穏やかな時を過ごすのも久しぶりに思えた。買い物終わりに、あいつの気紛れで蘆花記念公園へ向かう。第二休憩所から見上げた空は雲ひとつなく、微風が頬を掠める晴天だ。療養中は何度も訪れたこの場所も、二重生活を続けていたために随分とご無沙汰だった。項垂れるあたしの肩を叩くあいつ。優しい素振りをするな。本当は没落するあたしを観察して楽しんでいるのだろう。

「近頃の身入りはどうよ、儲かってる?」

頭上で一羽の鳶が舞っている。たった一羽の鳶。椛の葉は微風に揺れて、さわさわという音だけが周囲に響く。ここだけ時間が停滞しているようだ。あたしは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

「お前、知っていたのか」

「当たり前よ。涼太の考えていることくらい、僕には分かる。何故って、僕と涼太は二人で一つ、いつだってそうだったろう? Z高校の文化祭なんて酷いもんだったよね。あれほど階級社会を目の当たりにさせられたことはなかったよ」

「本当に、両極端で磁石みたいな俺たちだよな。だから、こうして年を経てもまた一緒にくっつく。全く、面白過ぎて涙も出ないぜ。知っていたか? Z高校からZ大学時代、結構評判悪かったぜ、お前。協調性が無い、飲み会に来ない、いつも上の空で意識が低い、色々言われているのを小耳に挟んだよ」

「ああ、大学の時にクラスメイトに言われたもん。『君は自由過ぎる。大企業に就職するとか、国家資格を取るみたいな上昇志向も無く、如何わしい漫画ばかり描いて。君はZ法学部の風上にも置けないから、Z法学部を名乗るべきじゃない』ってね。『相変わらず薄っぺらいな』って言い返したら、その日以来無視された。確かに僕は友達が居なかった。でもね、そんなことを気にして成人向け漫画なんて描けると思うか? 僕は、自分らしく干されるほうが良いと思うね」

流石、それでこそあたしの親友。あたし達は男としての、Zボーイとしての人生を楽しむ資格の無い人間。Z高校という小宇宙に於いてあたし達は現実を突きつけられた。運動部か文化祭実行委員にでも籍を置かないとZブランドなんて何の意味もない、ただのお飾りだった。死ぬ思いで勉強して入学、その報いがこれか。思い返しただけで笑えてきた。こうした不条理は社会にも粘っこく残っている。結局、どこに行ったって強い男だけが謳歌している社会。その陰で冷や飯を食わされるあたし達。あたしは知っている。この親友は自由人だが、それ故に排斥されたということを。こいつもあたし以外に友人という友人が居ない。こいつの父母は共にZ大学の出身だが、卒業以来その両親とも絶縁状態で互いに連絡も取らない。天涯孤独。何色にも染まれないまま孤高の存在と化し、自由の権化となった男。

「涼太は凄いよ。憎しみを糧に身体まで売れるなんて、僕には出来ない。敬意を示したいと思うよ」

「俺は、このせいで例え自分が命を落としたって構わないと思っている。危険なのは分かっているし、承知の上で街に立っているんだ」

「身体には気をつけてくれよ。涼太が欠けるようなことがあったら、僕だってどうなるか分からない。何たって、涼太は僕で、僕は涼太なんだから」

「またそうやって、心にも無いことを言う。あんたの忠告なんか死んでも聞かないわよ」

「いや、だって……」

「うるせぇ!」

彼方の逗子の海まで声を響かせるつもりで一喝する。いつだってそうだ、こいつは他人事なのだ。気遣うふりをして興味本位で俺の行く末を見ているだけだ。どこまでも狡猾で、小賢しくて、妬ましくて意地らしい、たった一人のあたしの親友。

(続く)

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