——結局のところ、あたしはあたしという個物が許せないのだ。
その日の夜の京浜急行終電、逗子・葉山行き。電車の揺れに耐えられず、あたしの身体は不意に蹌踉めく。半分ずれたウィッグを気にも留めず、朦朧とする意識の中でも唇だけは真っ赤に染め上げる。頬まで真っ赤になった自分の顔を車窓越しに見て、溶けそうに笑みを浮かべる。何か口にしようと、鞄を掻き回して酒肴を取り出し頬張る。列車の振動は執拗にあたしを弄ぶ。隣の女性客の腕と、あたしの細い腕が接触する。良かった、あたしの方が細い。隣の女性は怪訝な視線を送りつつも、あたしに声すらかけられぬ様子だ。無理もなかろう、あたしは怪物だから。
同居人にも知られていたのだから、化粧を落とす必要もウィッグを外す必要も無い。そのままの格好で深夜の逗子界隈を闊歩しようと、逗子・葉山駅の改札を抜ける。静寂な深夜の逗子界隈に舞い戻った。
「おかえり、涼太」
駅前のバス停まで親友がお出迎えに来ていた。普段、お迎えになど来たことのない彼が、今日に限って何食わぬ顔をして待ち構えている。どういう風の吹き回しか知らないが、あたしも眼前の親友の姿に安堵していた。
「珍しいな」
「妙な胸騒ぎがしたんだ。だから迎えに来たよ」
この阿吽の呼吸こそ親友の証だ。あたしの傷心を察して駆けつけてくれるとは。こいつは、あたしがどれだけ癇癪を起こそうと、いざという時には心配してくれる、あたしを気に掛けてくれる。この間柄が親友でなければ何であろうか。
田越川沿いの道を歩む。漆黒の水面は何故こんなに不気味なのだろうと毎晩思いを巡らせる。何か怪物でも湧き出てきそうな禍々しさだ。何を言っている、このあたしの方が余程怪物ではないか。いつもそんなことを考えていた。毎日零時過ぎにこの川沿いを歩くのだが、街はとうに眠りに沈んでいる。動物病院、スポーツクラブ、ヴィーガン喫茶、ピザ屋、みんな眠っている。毎晩あたしだけが取り残されている。水音だけが無情に響くこの道を、一人歩くのは心許ないものだ。しかし今日は、傍に親友が居る。たった一人の親友。親友とは言葉を交わすでもないが、ただあたしに寄り添ってくれた。あたし達に言葉は要らないのだ。側を一緒に歩いてくれるだけで、今のあたしには充分だった。最低の街娼に成り下がり、最早人間ですらないあたしの深い傷を、親友は何も言わずとも癒してくれるのだ。海が近づき、遠くで波音が聞こえてきたところで左折し、緩やかな坂道を登ったところにある二階建てアパートが我が家である。この身体に、坂道と二階へ上がる階段は些か堪える。偶然通りかかった通行人があたしを見るや否や「うわっ」と怖気付き、決して目を合わせようとしない。深夜に屯する少年少女達に出会すこともあるのだが、「うわ、何だあいつ」という嘲笑にもすっかり慣れてしまった。女装せずに、土日に街を歩く時だって、逗子市民はあたしのスリムな身体を訝しむ。何故そんなに痩せられる、その痩せこけた身体でどうしたら立っていられるのか、という羨望の眼差し。あたしはこの逗子界隈でもちょっとした著名人。華奢な身体で一流企業の有能社員であり、春を鬻ぐ女でもあるのだから人の耳目を集めるのも無理なかろう。アパートの階段を登り、二◯三号室の戸を開ける。
「僕はもう寝るからさ、涼太も早く寝なよ。あと、あんまり体調が優れないんだったら、明日は休んだ方がいいぞ」
親友はそう言い残して、さっさと部屋に篭ってしまった。物音一つ響かぬリビングに一人呆然と突っ立つ。逗子の真夜中は静かだ。真夜中の我が家に漂う空虚が嫌い。「俺、何をやっているのだろう」と思わせるから。毒が抜けてしまうと、このあたしを祝福する狂気がひとたびでも拭い去られてしまうと、取り返しのつかない心が、身体が、恐怖に慄き震える。それはもう落涙するくらいに。壊れそうになる。いや、もう壊れているのだろうが、それを感じさせる程にあたしを締め付ける静寂は嫌いだ。逗子という街は好きだけど嫌い。この街は、あたしを正気に引き戻そうとする磁場がある。家から徒歩五分、今でもたまに訪れる逗子海岸だが、あそこを訪ねるとどこからともなく呼び声が聞こえる。
「いつまでそんな馬鹿なことをやっている?」
あたしの心の溝を埋めるかのような、或いは殊更に引き裂くかのような、良心の呼び声。思わず耳を塞いでしまうくらいだった。そんなことを思い出し、何故かあたしはこんな時間に桜山のアパート一室を飛び出した。さっき登った坂道を下り、突き当たりを左に曲がり、横断歩道の青信号を渡る。渚橋を渡り、階段を降りて海に漂着する。誰も居ない、あたしだけが置いて行かれてしまった、黒々とした海辺だ。最早、自問自答することさえあたしの性癖と言って良かろうが、性懲りも無く更に自ら問い続ける。あたしが許せていないのは誰なのか。あたしは親父が許せない、「男だから」と言って諭してくるから。親父は自分の思う男性像を押し付けて、それにそぐわないあたしを否定しているから。世を支配する男という本質に、あたしを捩じ込もうとする行為が許せない。他の誰でもないあたしという個物が否定されているのが堪え難いのだ。あたしは社会も許せない、あたしという人間を認めてくれないから。あたしだって努力をしてきたのに、会社の奴らは平然とあたしに罵詈雑言を浴びせるし、体調を崩させるし、挙句の果てには仕事も奪い、居場所を無くさせたから。即ち、組織においてあたしは、異物あるいは脅威と看做されている。あたしという人間を認める器のないこの社会が許せない。あたしは親友も許せない。大切な親友なのに許せない。この社会から抜け駆けしているから。この宿命的、不可避的競争社会の中で、一人だけ勝手に抜け出して悠々自適に生活しているから。それは裏を返せば、抜け駆け出来ないあたし自身が許せないということでもある。あたしだって抜け出したかった、抜け出せる力があれば良かった。それが無いから未だにこうして踠き続けている。あたしは、ただ偏に幸せになりたいだけではなかったか。仕事で栄光を掴み取りたいだけではなかったか。周りの皆がそうしているように、結婚して幸せな家庭を築きたいだけではなかったか。
そうだ。結局のところ、あたしはあたしという個物が許せないのだ。どんなに親父を憎んでも、社会を恨んでも、親友を妬んでも、その理由を深掘りすれば必ずや「あたしはあたしが許せない」という答えに帰結する。そうにしかならないのだ。親父の観念に嵌れていれば、あたしは優秀な社員になれていた。こう見えたって、あたしは男なのである。男の身体を成している以上、あたしにだって男という観念があって然るべきではないか。でも、どうやらあたしにはそれが無い。それが無いあたしは男の出来損ないだ。あの客があたしに言い放った、「男の出来損ない」。本来ならあたしは今頃、会社の尤物となっていたのに。尤物になれたら、自分に自信もついて、こんなに売春漬けになるほど追い詰められるようなこともなかったのに。或いは、それ以上の実力があれば、誰に雇われなくても食いっぱぐれない人生を謳歌することだって出来たのに。そのどれにも引っ掛からない、報われる資格の無いあたし自身が許せないのだ。あたしが売春をする理由も、これで説明がつく。あたしはあたしが許せないから、際限なく自分を穢し続けるのだ。ならば、これはあたしによる、あたしへの復讐なのか。復讐ですらない、ただの処罰ではないか。しかし、だとしても、あたしは親父、社会、親友への憎しみは確信している。例え「あたしが許せない」という結論に帰結しようと、奴らを憎む気持は確固たるものであり、身体を売ることで確かに上昇している。
あたしはまだ逗子海岸に佇む。依然人は来ないし、背後で車が時折通り過ぎるだけだった。不意に中学の時に読んだ保健の教科書を思い出す。性行為についての記載だった。「子孫を残すための行為が苦痛を伴うものなら、その生物は滅びる。だから、神はその行為に快楽を与えた」と。こんな馬鹿げた形而上学まがいを軽々しく書き記すから、性欲に躍らされるだけの猿が増えるのだ。これが真理だと言うのなら、あたしが日々やってきた行為は何なのだ。快楽もへったくれも無いではないか。ただ自分が穢されるだけの性行為だって性行為だ。性行為の快楽なんか神が与えたものでも何でもない。ただ性器と性器が物理的に摩擦しているだけだ。そこに神性など認めてたまるものか。ただ単に犯す自我と犯される自我が存在しているだけだ。しかし、それでもあたしは——。
縹渺とした深夜の海は、波音だけを気紛れに響かせる。水平線も見えない、誰の声も聞こえない。周りを見回したって誰も居やしない。街灯だけが無常に灯火し、江ノ島の灯台も眼を光らせ断続的にあたしに視線を送る。誰も許せないあたしは、遂に本当の孤独と成り果てた。他人にも自分にも心を開けず、この砂浜で独りぼっちだ。元々は、休職をして人の温もりを求めてこの街にやって来たのに、それでも結局独りぼっちだ。
あたしは深く息を吸い、ゆっくりと吐く。何を黄昏ている。時刻はもう深夜二時を回った。この寒い中、頬には涙が伝っている。自宅に引き返す気力も残っておらず、あたしはその場に座り込んだ。考えるのは止めだ。今更遅い、もう引き戻す訳にはいかない。何故なら、ここまで来たのに止めてしまっては今まで積み重ねてきた復讐が水泡に帰すからである。あたしにとってこの復讐を止めるということは、男達に白旗を掲げ、男達に蹂躙されながら生きる宿命に跪くということである。その宿命に打ち勝つべく戦っているのだ。この恥辱を雪ぐなど、どうせ出来ようもないのだから。邁進するためにはこれが不可欠だ。分かるだろう、このアンビヴァレンスこそが最早あたし自身にすら処置不能の病竈である。あたしは絶対に戦い抜いてみせる。この夜が明ければ、また来て欲しくない朝が訪れる。性懲りも無く、心ここに在らずの状態で昼職に勤しみ、明日の日中はSNSを駆使して客を引こうか。そうして、定時になったと同時に颯爽と退社し、夜の街へと羽ばたくのだ。
(続く)
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