手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.20 – 宮田涼介

現在、俺は横浜重工業の経理部経理課に務める会社員だ。神奈川県逗子市桜山に居住し、最寄りの逗子・葉山駅から横浜駅まで、横浜駅から京浜東北線で隣の桜木町駅までただ移動する。横浜重工業に出社し、デスクに着くや否や、ありったけの書類、ファイルボック...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.19 – 宮田涼介

大学二年の六月、大学で民法の講義を受けていた時、親父から着信があった。こんな真っ昼間に親父の着信とは珍しいと思ったものの、この頃すでに俺は親父に心を閉ざしていたので無視した。しかし、ひっきりなしに何回も着信があるものだから、うんざりしながら...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.18 – 宮田涼介

後日、担任及び生活指導の教員から、奴らに対して直々に譴責(けんせき)があったという。譴責とは、Z高校も随分と甘い処分を下したものだ。除籍にでもして中卒にすればよかったところを、たかが譴責処分とは。百歩譲って停学くらいにしてやってもよかったの...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.17 – 宮田涼介

さて、長く苦しい受験勉強の末、俺はZ高校に進学した。X学院にも合格し、そちらの方が家から近かったが、俺はZ高校を選んだ。世間的なブランド力はZ高校と、附属の進学先であるZ大学の方が高いと判断したからだ。そんな中、親友のあいつもZ高校に進学す...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.16 – 宮田涼介

そんな中、中学二年の二学期の初め頃だったか、あの吉井が初体験を済ませたという情報を察知した。相手は吹奏楽部に所属する同級生で、この二人が交際しているという話は聞いたことがあったが、ちゃっかりこの夏休みの間に二人して大人の階段を登っていたとい...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.15 – 宮田涼介

二〇二四年二月一八日 神奈川県逗子市桜山八丁目にて 安原涼太 記 まず初めに断っておくが、恐らく俺は近いうちに殺される。相手は多分、通りすがりの中年親父だ。しかし今更、怯えて生命保険に入るようなことはしない。受取人も居ないのに生命保険など入...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.14 – 宮田涼介

「漸くサラリーマンらしくなってきたよ」復帰してから一年ほど過ぎた頃だったか。調子の良いことを言いながら帰宅し、私の手料理を口にする涼太。時刻は午前〇時を回ろうとしている頃合いだった。決算業務の多くを再び任せてもらい、上司からの評価も得られて...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.13 – 宮田涼介

そうして、涼太の療養生活はここ逗子にて幕を開けることとなった。私という同居人が居ることで幾分気は紛れたらしいが、その体調にはかなり浮き沈みのある様子だった。酷い時は布団から起き上がることさえ儘ならないようだった。私の拵えた手料理も食べる気が...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.12 – 宮田涼介

「実は今、会社を休職している。傷病手当金だけで一人暮らしは厳しくて、実家にも帰れなくて困っていたんだ」「実家に帰れないって、練馬の実家はどうなったんだ?」「まだあるけど、実家との関係が悪いから帰れない。休職していることも父親には言っていない...
手弱男と作法(宮田涼介)

手弱男(たおやお)と作法 vol.11 – 宮田涼介

Z高校を卒業した私と安原は共に、Z大学法学部法律学科へ進学した。いつまでこの腐れ縁が続くのかと思ったものの、クラスがかけ離れていた為、涼太の大学生活は風の噂程度にしか聞いていない。Z高校在学時から司法試験に受かって弁護士になると意気込んでい...