団塊ノ絶滅、氷河期ノオワリ Episode.003

第1章 氷河期と革命軍

作:NYO

 コードネームを名乗りだしたのはオースギだった。
 俺もマオさんも、最初は嫌がった。
 だが、革命家にはコードネームが必要なんだそうだ。
 俺はペンネームをそのままコードネームにした。面も割れてりゃ、本名も知れ渡っている俺のような有名人が偽名なんぞを名乗るのはナンセンスだ。同志たちも特に反対はしなかった。オースギだけはしぶしぶ認めた。
 それと愛人のアケミだが、彼女の名前ももちろんコードネームだ。カタカナなのがまたいい。流れ着いた街、場末のスナック、人生に疲れたホステスなどなどがパッと目に浮かぶ。時代特有の幸薄さが秀逸だ。昨今流行りのリバイバル趣向に乗ったんだろう。
 しかし、昭和生まれを皮肉る懐古趣味もいい加減にして欲しいもんだ。
 まあ、俺が始めたことではあるが。
 自分が作ったものを真っ先に楽しみ、真っ先に飽きてしまう。先駆者の悲しい宿命だ。
 今や革命家の俺だが、数年前は売れない作家だった。
 作家というと、誰もが小説家みたいなのを思い浮かべるんだろうが、俺の仕事はそんな上等なもんじゃなかった。コントが書けなくなった芸人のゴーストライターとか、粗製乱造されるウェブCMのキャッチコピーとか、安い仕事ばかりで食いつないでいた。
 いや、嘘だ。食えてすらいない。バイトとの兼業でようやく生活が成り立つレベルだ。そのうえ、五十代を迎えて求人はますます少なくなった。所得は細る一方だ。
 耐貧生活も限界を迎え、俺は本気で死を考え始めていた。別の仕事をすればいいという者もいるだろうが、この年齢まで自由を味わった者が就ける堅気の職業などない。運よく採用されたとしても、文筆の断念という自分への裏切りは日々精神を苛み、後悔と屈辱が貧乏に代わって俺を死へと追い詰めるだろう。
 風呂なし、トイレ共同、築60年の木造ワンルームで、学生向け旅行プランのオシャレなキャッチコピーなど考えていると思わずため息がもれた。
 そんな、うだつの上がらない中年男が、何で生意気にも裸の女をとなりに朝を迎え、革命家を気取っていられるのか?いや、もったいぶる程のことじゃない。
 発端はFMラジオだった。
 誰も聞いていないような早朝の番組の、そのまたミニコーナー。数分間だけ流れるラジオドラマのシナリオを、俺は何年も前から担当していた。レギュラーの仕事はそれだけだったから、この番組だけがプロ作家としてのプライドを支えていたと言ってもいい。
 FM局のディレクターとの打ち合わせに向かうため、いつも使う井の頭線に揺られる。
 下北沢を経由して渋谷に向かう車内は、かつて若者であふれていた。しかし、いつからこうなったのだろう、乗客の大半を占めるのはシミとほうれい線を顔面に貼りつけた中年と老人ばかりとなった。これを皮肉らずにおられようか。
 2030年を過ぎた日本は、世界に例を見ないほどの超高齢化社会への階段を一気に駆け昇っていた。社会のお重荷になった団塊世代と、これからお重荷になる氷河期世代の悲哀を、俺は昭和二十年代を彷彿とさせるラジオドラマに仕立てた。

 金満ノ団塊老人ハ死ンデシマヘ。
 金ノ遣ヒ途ナド、モハヤ有ルマイ。
 金欠ノ氷河期世代モ死ンデシマヘ。
 オマヘタチノ遣ヒ途ナド、モハヤ無イ。

 大本営発表が現代に復活し、負け戦の日本の現状をラジオでボヤくといった趣向だ。
 リモートワークに縁のない早朝の通勤組を中心に、このミニドラマは爆発的にウケた。
 別に大したコトを書いたつもりはない。作家本人だって、それほど面白いと思っていなかったんだから。だが、リスナーの中核は五十代の非正規社員。就職氷河期がもたらした不平等社会を生き抜いてきた団塊ジュニアだった。屈辱と我慢でパンパンに膨れ上がった彼らの脳を、俺はアイロニーの針で突き刺してしまったのだ。
 ラジオドラマはシナリオ集となり、シナリオ集は小説化され、さらに小説は配信映像となった。団塊ジュニアは数が多く、貧乏だが課金やネット決済に抵抗がない。電子化された俺の言葉は利益を生み出し、次のオファーを呼び込んだ。売り上げたコンテンツの原作者として『駒潟どぜう』はクレジットされ、その名は世に知られることとなった。
 編集者に急かされるまま書き散らした毒舌は世にあふれ、書けば書くほど過激になる。だが、ターゲットたる氷河期世代はイジられること望んだ。
 とはいえ、同輩の五十代諸君に対するボヤきには、俺なりの愛を込めたつもりだ。団塊世代が好景気とともに謳歌した豊かさも熱狂も、彼らは一度も感じることができなかったのだから。相対的貧困という意味で、彼らと同じような経済環境に置かれていた俺は無意識のうちに怒りのベクトルも共有していたのだろう。
 「割ヲ食ワサレテキタ者ハ、死ンデシマウコトコソ復讐ナリ」
 俺たちを安くコキ使ってきた団塊のジジイども・・・売り手市場で運よく正社員になれたくせに、非正規のオジサンをバカにしてきた若造ども・・・俺たちが耐えていた苦しみを、そっくりお前たちにやろう。老人よ、お前らを介護するものはいない。若者よ、オジサンたちのかわりに老人の群れを養うがいい。
 パソコンの前でブツブツと呟きながら、俺は呪いの言葉を昭和二十年代風にコンバートしていく。まあ、もっとも氷河期世代も人口のボリュームゾーンだから、大量の老人を生み出す予備軍には違いない。早く死んであげたほうが若者孝行なのかもしれないが、そこは敢えてスルーだ。恵まれない同輩に対する愛ゆえに、俺は公平な視点を放棄した。
 氷河期世代の心を掴んだ俺は中年の星に祭り上げられ、時代の寵児となった。
 だが、俺と彼らの違うところがひとつある。それは、彼らが相対的貧困を強いられたのに対して、俺は自ら望んで貧困に墜ちたってことだ。
 貧乏はイヤだが、それ以上じゃない。高校を出てすぐライターを志した俺には、まともに就職をした経験がなかった。ずっと非正規だったからプライドが傷ついたということもなく、そもそも社会の歯車になってアクセク働く連中を嘲笑っていた節すらある。
 俺が同世代の負け組にシンパシーを感じているなどと言ったら、むしろ彼らに対して失礼なのかもしれない。

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