団塊ノ絶滅、氷河期ノオワリ Episode.007

第1章 氷河期と革命軍

作:NYO

 車は海沿いの国道から右に折れて、住宅街を進んでいた。
 名刺に記されている『厭世閣主人』。博識なロレンスならピンと来たにちがいない。
 『七里ヶ浜の老人』というやつだ。
 戦時中の教育界に現れたカリスマにして、当時、多くの有意な若者が膝下に学び、また私淑したという。戦後、公職追放の憂き目にあった彼は、世を捨てて鎌倉は七里ヶ浜の私邸『厭世閣』に引き籠った。
 だが、カリスマに心酔した若者たちは国家を支える柱石へと成長し、大事に際しては必ず彼の意見を伺いに鎌倉を訪れたとされる。やがて幾星霜を経た彼は『七里ヶ浜の老人』と呼ばれるようになり、政界のフィクサーとして今も隠然たる権力を握っているという。
 ちゃんちゃん・・・。まあ、要するに陰謀論だ。
 コンビニに並ぶ実話なんちゃらみたいな、怪しげな雑誌の記事もよく書いたっけ。
 不本意ながら、こんな愚にもつかない都市伝説にも詳しくなっちまった。
 さて、この名刺にあった『厭世閣主人』という、たった五文字の手がかりから、ロレンスはこの建物の場所と所有者をつきとめてきた。
 こんな、いつもらったかも分からない名刺に目をつけ、何かの役に立つかもしれないと俺に報告し、書かれてもいない厭世閣の住所を調べ上げてくる。
 この有能な秘書にだけは、金や地位が望みだというならくれてやらねばならない。極左とカルトの野合ともいえる狂気の政党の中で、こいつだけは欲しいものが現実的でまともだ。ぜひとも味方についていてもらいたい。
 車は鎌倉山のほうに向かって進んでいたが、ある時から車幅いっぱいの細い小道に入っていった。引き返せなくなるんじゃないかと、少し不安になる。すると、今まで続いていた住宅街が嘘のように消えてなくなり、鬱蒼とした緑陰の中に忽然と山荘が現れた。
 これが厭世閣らしい。
 門扉は自動で開き、ロータリーを通って建物から突き出た庇の下に入る。すると、玄関扉が開け放たれ、中から和装の女性が押す車椅子に乗った老人が顔を出した。
 あれが『七里ヶ浜の老人』だろうか。終戦時に三十代だったはずなので、本人なら百二十歳は超えていることになる。
 もっとも、発達した医療のおかげで最近は百歳越えのご長寿も珍しくない。健康寿命の延びが長寿化に追いつかず、障害を抱えた高齢者が増えて社会問題になって久しいが、彼もご多分にもれず足と、そして呼吸器系を患っていた。
 老人の気管は切開されており、人工呼吸器をつなぐことのできるカニューレが取り付けられている。自力で声を発することができないのだろう、頭にはヘッドギアが、車いすにはパソコンが取り付けられていた。最近、よく病院なんかで見かける装置だ。ヘッドギアには脳波を拾うセンサーが仕込まれていて、接続されたパソコンが老人の思考を音声に変換してくれる。
 車を降りるや、俺は深々と頭を下げた。
 相手が七里ヶ浜の老人だとしたら、わずかな粗相も許されまい。
 「駒潟と申します。希死の会という政党の代表を・・・」
 老人はニコニコと微笑む。そして、パソコンから音声が発された。
 「ええ、存じてますよ。お待ちしてました、駒潟さん」
 優しげな雰囲気にホッとする。
 都市伝説で語られるような、威圧的なところは少しもない。
 運転手にここで待つように指示して振り返ると、和装の女性と目が合った。年齢は六十過ぎだろうか。老人の娘か孫かもしれない。女性は車椅子を押しつつ、俺を邸の奥へと招き入れた。
 通された応接間は和洋折衷の豪華な内装だったが、エアコンがないのが気になった。窓からは湘南の海が見えるが、同時に海風もダイレクトに当たる。しっかりした建築ではあるものの、現代の気密性の高い設計ではない。冬場は冷たい隙間風が入ることだろう。
 段差のない室内に入ると、老人は車椅子を電動に切り替えてローテーブルの前に移動した。そして、俺に対面のソファーを勧める。先ほどの女性が暖かいお茶を出して立ち去ると、老人はパソコンを通してのんびりと語り始めた。

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