手弱男(たおやお)と作法 vol.1 – 宮田涼介

手弱男と作法(宮田涼介)

「ねぇ、あたしと遊びません?」

「ねぇ、お時間ありません?」

「挿れてくれるなら一万五千、お口だけなら五千円よ」

「そこの安いホテルで良いわよ」

逗子海岸の穏やかな波音。頬を掠める潮風に乗って、我が親友の魂の彷徨いが聞こえた。聞こえた気がした。黄昏時の海岸で、汀渚(ていしょ)に立ち尽くし亡き友を(しの)ぶ。海面に浮かぶ江ノ島、富士の影絵。伊豆半島の山々を隔てて夕陽は(うすず)く。自ら破滅の道を果敢にも邁進し、散ってしまった男の一生。彼の墓すら知らない私は、ここでただその死を(いた)むことしか出来ない。晩年の彼にとって最も身近だったこの海で、一人冥福を祈るのだ。江ノ島の灯台は眼を光らせる。後ろを振り返ると、海沿いのステーキハウスの看板も灯っていた。窓際のテーブル席は地元の若者や家族連れで賑わう。海岸で焚き火を囲んでいた若者達も後片付けに勤しんでいた。

「ねぇ、お茶しません?」

「ちょっとくらい話聞いてくれたって良いじゃないのよ、どうせ金ないだけのくせに!」

止めてくれ、鎮まってくれ、どうか安らかに眠ってくれ。秋も深まる折、陽が落ちると肌寒く、身体は殊の外冷えていた。濃紺に染まる空を見やりながらショルダーバッグを掛け直し、私は再び手を合わせてから海岸を後にする。

 彼の訃報を警察から聞いた時、私はダイニングテーブルに並べたばかりの昼食が冷め切るまで、椅子にもたれ掛かることしか出来なかった。時間が止まったかのようで、アパートの外を通り過ぎる車の音が耳に入るだけだった。項垂(うなだ)れたまま視点も定まらず、心臓だけが高鳴っている。と思いきや、急に居ても立っても居られなくなり、陽の落ちるまで行く宛てもなく近所を盤桓(ばんかん)した。それでも憂いが消えることはない。 それから間も無くして、朝夕の報道番組でも「警察は殺人事件と断定し捜査を進めている」と報じられた。殺害現場にも連日足を運んだものだった。木造モルタルのアパートで、外壁は灰色に煤けており、郵便受けも赤錆で朽ち果てている。二階へと続く外階段のトタン屋根はぼろぼろに剥がれ、手摺も臙脂色に変色していた。一階は半地下の居酒屋となっており、手前のカウンター席で、刺身や焼き鳥などの肴とビールを掻っ喰らう中年男性二人が談笑している。殺害現場となった部屋は一階の空室で、入り口の扉は外からでも目視出来た。扉の前に積み上がる空の段ボール、年季の入った外置きの白い洗濯機が何故か眼に焼き付く。隣の建物との距離がごく僅かなせいか、その入り口は昼間でも陰に覆われていた。親友はこの部屋に忍び込み、何者かに首を絞められて絶命したのだ。事件直後の現場にはまだ規制線が張られ、建物の前には警官が立ち塞がり、物々しい雰囲気を漂わせていた。「ここがあの事件の現場か」、「嫌な事件だねぇ」と野次馬も散見された。私はこの事件の初公判にも赴いたし、ネット上におけるこの事件に纏わる数々の証言も遍く目を通している。

公訴事実

 被告人は、令和六年三月九日午前零時頃、神奈川県横浜市中区日ノ出町のアパート「寿荘」一○一号室において、安原涼太(当時三四年)の頸部を両手で圧迫し、窒息により殺害、同時に現金四万円を強取したものである。

被害者 安原涼太の身上経歴等

 被害者、安原涼太(以下、「安原」という)は、東京都練馬区三原台において、会社員の父、専業主婦の母の長男として、平成元年四月二十日に生まれた。安原は練馬区の小学校、中学校を経てZ高等学校に進学し、Z大学法学部法律学科に入学した。

 一年間の休学を経てZ大学を卒業した安原は、平成二十五年四月、横浜重工業に入社。横浜重工業は横浜市西区みなとみらいに本社を置く大手自動車メーカーである。

 安原は、平成二十五年七月より経理部経理課にて勤務し、平成三〇年四月に鬱病を発症し二年間休職、令和二年四月に復職した。安原は同部署において、財務会計業務や有価証券報告書作成等に従事していた。勤務態度は真面目であったが、懇親会には参加せず、社内での個人的な付き合いが無かったため、安原の私生活を知る者は居なかった。安原に女性遍歴はなく、逗子市桜山において中学時代からの友人と二人で暮らしていた。

 安原は令和三年五月頃から、横浜市中区日ノ出町や伊勢佐木町界隈で男性を相手に路上売春を行っていた。会社を退社後、JR桜木町駅前の商業施設「ランドマークプラザ」内のトイレで女装したのちに日ノ出町界隈に向かい、一日四人を目標に男性を相手に売春する生活をおよそ三年続けていた。

ネット上の主な証言

「この人、ゲイではなかったらしいな。女装はしていたけど、女性になりたい男性でもなかったみたいだし。しかも掘られる側で、一回五千円とかで体売ってたんだってな。横浜重工に勤めて収入だってあっただろうに、なんで売春なんかしていたんだろう」

「私、ランドマークタワーで働いているんだけど、被害者の人をよく見かけました。真夏なのに皺くちゃのロングコートを着て、能面みたいな真っ白のファンデーションと真っ青なアイシャドウを塗って、物凄い速さで桜木町駅の方に歩いていて、とにかく異様でした。『呪怨』シリーズに『伽椰子』というキャラクターが居るけど、まさにあんな感じ」

「俺、日ノ出町付近に住んでいるけれど、仕事帰りによく道端で被害者に遭遇した。髪が長くてボサボサで、顔面が真っ白でガリガリに痩せていた。曲がり角から音もなく、すごい速さでぬっと現れるから何度もびっくりさせられた。ネットで被害者に関する情報が漏れていて、もしかしたらと思ったけれど、やはりあの人だったのか」

「この人、立ちんぼをやる前は『男の娘』専門の店で風俗嬢やっていましたよ。私もあの被害者と同じ店で働いていたことがあります。服装が地味で、あまり風俗嬢っぽい感じではなかったと思います。話しかけにくい雰囲気があって、たまに話しかけても会話が成立しなかった。その店の風俗嬢は皆二十歳前後なんだけど、あの人だけが三十歳を超えていて、お客さんもあまり付いていなかったようです」

「この被害者の人、京急の逗子・葉山行きの終電でよく居合わせたよ。いつも終電を使っている乗客はもう見慣れていたけれど、何も知らない人が見たらぎょっとすると思う。電車内でハンドバッグの中身を、がさがさ音を立てながら漁って、菓子パンを一心に食べていた。終点の逗子・葉山駅に着くと、いつも早歩きでトイレに向かって、何をするのかと気になってこっそり見てみたら、かつらを外して、人目も憚らずごしごし顔を擦ってメイクを落としていて、やはり男の人だったのかと思った。メイクを落とす腕がとにかく細くて、目つきも生気が無くて、この人は大丈夫なのかと心配していた」

「私は被害者の勤めていた会社で、派遣社員として一時期働いていました。人事からはZ大学法学部を出た優秀な人と聞いていたけれど、仕事は全く出来ていませんでした。プライドだけはやたら高くて、周囲からしたら面倒な人だったのではないでしょうか。協調性や対人能力というものが全く無いのです。以前には勤務中にいきなり叫び出し、倒れて病院に運ばれたと聞いています。飲み会にも参加せず、職場での人間関係も上手くいっておらず、手に負えない社員だったと思います」

「僕も、もう退職しましたが被害者と同じ会社に勤めていたことがありました。とにかく食が細くて、家では刺身を一切れくらいしか食べていないと言っていました。『太るから』と言って社食で昼食もとらず、クッキー一枚とコーヒーしか口にしていませんでした。でも、インスタントコーヒーにはいつも凄い量の砂糖を入れて、どろどろになっていました。机の引き出しにはビタミン剤が大量に入っていて、それで栄養失調を防いでいたのだと思います。元同僚から聞いたのですが、晩年の彼は明らかに濃い化粧を施していて、でも不器用なせいかその化粧がとにかく下手で、死化粧のようだったらしいのです。『化け物みたいだ』と社内で噂になっていたと聞きます。あまりの異様さに、誰も触れることの出来ない闇のようなオーラを放っていたそうです。事件を知って、日ノ出町の現場に足を運び、手を合わせました」

「俺、この被害者のことを買ったことあるけど、最初から最後まで全く反応が無かった」

(続く)

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